・・・それが彼の顔を見ると、「俸給ですね」と一言云った。彼も「そうです」と一言答えた。が、主計官は用が多いのか、容易に月給を渡さなかった。のみならずしまいには彼の前へ軍服の尻を向けたまま、いつまでも算盤を弾いていた。「主計官。」 保吉はし・・・ 芥川竜之介 「保吉の手帳から」
・・・ 陸軍病院で――彼は、そこに勤務していた――毎月一円ずつ強制的に貯金をさせられている。院長の軍医正が、兵卒に貯金をすることを命じたのだ。 俸給が、その時、戦時加俸がついてなんでも、一カ月五円六十銭だった。兵卒はそれだけの金で一カ月の・・・ 黒島伝治 「穴」
・・・それから、五円六十銭の俸給で何かを買って持って来た。 でも、彼女の一家の生活を支えるには、あまりに金を持っていなすぎる。もっとよけいに俸給を取っている者が望ましい。 肉に饉えているのは兵卒ばかりではなかった。 松木の八十五倍以上・・・ 黒島伝治 「渦巻ける烏の群」
・・・ 大隊長は、ポケットに這入っている俸給について胸算用をしていた。――それはつい、昨日受け取ったばかりなのであった。 イワンは、さきに急行している中隊に追いつくために、手綱をしゃくり、鞭を振りつづけた。橇は雪の上に二筋の平行した滑桁の・・・ 黒島伝治 「橇」
・・・ ――今持っている旭日章のほかに、彼は年金のついている金鵄勲章を貰うことになる。俸給以外に、三百円か五百円、遊んでいても金が這入ってくることになるのだ。――功四級だろうか、それとも五級かな。四級だと五百円だ。それから勲功によって中佐に抜・・・ 黒島伝治 「パルチザン・ウォルコフ」
・・・ 1カ月の俸給に受取った五円いくらかのその五円札を出して見せた。「アメリカ人がどうして、日本の偽札を拵えるの? え、どうして拵えるの?」娘は、紅を塗ったような紅い健康そうな唇を舌でなめながら真顔になった。紅い唇はこっちの肉感を刺戟し・・・ 黒島伝治 「氷河」
・・・議会などでわずかばかりの予算の差額が問題になったり、またわずかな金のためにおおぜいの官吏の首を切ったり俸給を減らしたりするのも結構であるが、この火災による損失をいくぶんでも軽減することもたまには講究したらどんなものであろうかと思われる。この・・・ 寺田寅彦 「函館の大火について」
・・・自分は頑として破談を主張したが、最後に、それならば、彼が女を迎えるまでの間、謹慎と後悔を表する証拠として、月々俸給のうちから十円ずつ自分の手もとへ送って、それを結婚費用の一端とするなら、この事件は内済にして勘弁してやろうと言いだした。重吉は・・・ 夏目漱石 「手紙」
・・・まず利禄をもっていえば、学校の官私を問わず、俸給はいぜんとして旧の如くなるべし。また、利禄をさりて身分の一段にいたりては、帝室より天下の学者を網羅してこれに位階勲章を賜わらば、それにて十分なるべし。 そもそも位階勲章なるものは、ただ政府・・・ 福沢諭吉 「学問の独立」
・・・たまたま豊に生活して多少の余財ある者もあるべしといえども、その財は、本人が教育上に授けられたる芸能を天下の殖産社会に活用して得たる財にはあらずして、幸に官途に用いられ、さしたる用もなけれども、きまりの俸給に衣食して、少々ずつその余りを積み貯・・・ 福沢諭吉 「慶応義塾学生諸氏に告ぐ」
出典:青空文庫