・・・ さては随筆に飛騨、信州などの山近な片田舎に、宿を借る旅人が、病もなく一晩の内に息の根が止る事がしばしば有る、それは方言飛縁魔と称え、蝙蝠に似た嘴の尖った異形なものが、長襦袢を着て扱帯を纏い、旅人の目には妖艶な女と見えて、寝ているものの・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・『虎の威を借る云々』とドバどもはいいふらすだろう。そしたら『あいつは虎でないとでもいうのか』と逆襲してやる。『そして僕が狐でないと誰が言いましたか。』十、君不看双眼色、不語似無愁――いい句だ。では元気で、僕のことを宣伝して呉れと筆をとること・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・老人が靉靆の力を借るが如く、わたくしは電車と乗合自動車に乗って向島に行き、半枯れかかっている病樹の下に立って更に珍しくもない石碑の文をよみ、また朽廃した林亭の縁側に腰をかけては、下水のような池の水を眺めて、猶且つ倦まずに半日を送る。 老・・・ 永井荷風 「百花園」
・・・二年間の鳥籠の歴史は先ずこんなものであるが、意外な事には前にこの鳥籠を借る事について周旋してもろうた黙語氏はその後すぐ西洋へ往たのであったが、最早二、三ヶ月の中に帰って来られるそうな。あるいは面会が出来るであろうと楽しんで居る。黙語氏が一昨・・・ 正岡子規 「病牀苦語」
・・・折々はまた名を署せずに、もしくは人の知らぬ名を署して新聞紙を借ることもある。今予に耳を借す公衆は、不思議にも柵草紙の時代に比して大差はない。予は始から多く聴者を持っては居なかった。ただ昔と今との相違は文壇の外に居るので、新聞紙で名を弄ばれる・・・ 森鴎外 「鴎外漁史とは誰ぞ」
・・・ 子供らの母は最初に宿を借ることを許してから、主人の大夫の言うことを聴かなくてはならぬような勢いになった。掟を破ってまで宿を貸してくれたのを、ありがたくは思っても、何事によらず言うがままになるほど、大夫を信じてはいない。こういう勢いにな・・・ 森鴎外 「山椒大夫」
・・・大阪で篠崎の塾に通ったのも、篠崎に物を学ぶためではなくて、書物を借るためであった。芝の金地院に下宿したのも、書庫をあさるためであった。この年に三女登梅子が急病で死んで、四女歌子が生まれた。 そのつぎの年に藩主が奏者になられて、仲平に押合・・・ 森鴎外 「安井夫人」
出典:青空文庫