・・・だから昼間は阿片喫煙者のように倦怠です」 とK君は言いました。 自分の姿が見えて来る。不思議はそればかりではない。だんだん姿があらわれて来るに随って、影の自分は彼自身の人格を持ちはじめ、それにつれてこちらの自分はだんだん気持が杳かに・・・ 梶井基次郎 「Kの昇天」
・・・然し一時間前の倦怠ではもうありませんでした。私はその衣ずれのようなまた小人国の汽車のような可愛いリズムに聴き入りました。それにも倦くと今度はその音をなにかの言葉で真似て見たい欲望を起したのです。ほととぎすの声をてっぺんかけたかと聞くように。・・・ 梶井基次郎 「橡の花」
・・・しかしそれを助けてやるというような気持は私の倦怠からは起こって来ない。彼らはそのまま女中が下げてゆく。蓋をしておいてやるという注意もなおのことできない。翌日になるとまた一匹宛はいって同じことを繰り返していた。「蠅と日光浴をしている男」い・・・ 梶井基次郎 「冬の蠅」
・・・というのは見掛けのものであって、当時者の間にはいろいろの不満も、倦怠も、ときには別離の危険さえもあったであろうが、愛の思い出と夫婦道の錬成とによってその時機を過ごすと多くは平和な晩年期がきて終わりを全うすることができるのである。今更・・・ 倉田百三 「人生における離合について」
・・・ひとつの、ささやかな興奮のあとに来る、倦怠、荒涼、やりきれない思いである。兄妹五人、一ことでも、ものを言い出せば、すぐに殴り合いでもはじまりそうな、険悪な気まずさに、閉口し切った。 母は、ひとり離れて坐って、兄妹五人の、それぞれの性格の・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・食後の倦怠は、人を、「どうとも勝手に」という、ふてぶてしい思いに落ちこませるものである。決闘ということが、何だか、食後の運動くらいの軽い動作のように思われて来た。やってみようかなあ。私は殺される筈がない。あの男の話によれば、先方の女は、今日・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・は、その内容の物語とおなじく悲劇的な結末を告げたけれど、彼の心のなかに巣くっている野性の鶴は、それでも、なまなまと翼をのばし、芸術の不可解を嘆じたり、生活の倦怠を託ったり、その荒涼の現実のなかで思うさま懊悩呻吟することを覚えたわけである。・・・ 太宰治 「猿面冠者」
・・・スランプトハ、コノ様ナ、パッション消エタル白日ノ下ノ倦怠、真空管ノ中ノ重サ失ッタ羽毛、ナカナカ、ヤリキレヌモノデアル。時々刻々ノワガ姿、笑ッタ、怒ッタ、マノワルキカッカッ燃ユル頬、トウモロコシムシャムシャ、ヒトリ伏シテメソメソ泣イテイル、ス・・・ 太宰治 「創生記」
・・・腕をこまぬいて頭を垂れ、ぼんやり佇んでいようものなら、――一瞬間でも、懐疑と倦怠に身を任せようものなら、――たちまち玄翁で頭をぐゎんとやられて、周囲の殺気は一時に押し寄せ、笠井さんのからだは、みるみる蜂の巣になるだろう。笠井さんには、そう思・・・ 太宰治 「八十八夜」
・・・ 満足とともに新しい不安が頭を擡げてきた。倦怠、疲労、絶望に近い感情が鉛のごとく重苦しく全身を圧した。思い出が皆片々で、電光のように早いかと思うと牛の喘歩のように遅い。間断なしに胸が騒ぐ。 重い、けだるい脚が一種の圧迫を受けて疼痛を・・・ 田山花袋 「一兵卒」
出典:青空文庫