・・・その代り料理を平げさすと、二人とも中々健啖だった。 この店は卓も腰掛けも、ニスを塗らない白木だった。おまけに店を囲う物は、江戸伝来の葭簀だった。だから洋食は食っていても、ほとんど洋食屋とは思われなかった。風中は誂えたビフテキが来ると、こ・・・ 芥川竜之介 「魚河岸」
・・・かつ頗る健啖家であった。 私が猿楽町に下宿していた頃は、直ぐ近所だったので互に頻繁に往来し、二葉亭はいつでも夕方から来ては十二時近くまで咄した。その頃私は毎晩夜更かしをして二時三時まで仕事をするので十二時近くなると釜揚饂飩を取るのが例と・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・そのお流れをみんな健啖な道化師の玉が頂戴するのであった。 満七年の間に三十匹ほどの子猫の母となった。最後の産のあとで目立って毛が脱けた。次第に食欲がなくなり元気がなくなった。医師に見てもらうとこれは胸に水を持ったので治療の方法がないとの・・・ 寺田寅彦 「備忘録」
・・・ 健之助は健啖之助とつけるべきでありました。ああちゃんをみていると、年中粉ミルクをかきまわしています。 十二月七日 十二月七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より〕 十二月七日、夕刻電報拝見しました。ああ本当にこうい・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・自分の主観のなかで甘えると、知性は忽ち痲痺してしまうところを見れば、知性というものの本質は健啖であって、ひろいつよい合理的な客観力を、養いとして常に必要としていることも理解される。 今日の日本で、そして女のひとの生活のありように即して、・・・ 宮本百合子 「知性の開眼」
出典:青空文庫