・・・あれでも君、元は志村の岡惚れだったんじゃないか。 志村の大将、その時分は大真面目で、青木堂へ行っちゃペパミントの小さな罎を買って来て、「甘いから飲んでごらん。」などと、やったものさ。酒も甘かったろうが、志村も甘かったよ。 そのお徳が・・・ 芥川竜之介 「片恋」
・・・銑吉のも、しかもその岡惚れである。その癖、夥間で評判である。 この岡惚れの対象となって、江戸育ちだというから、海津か卵であろう、築地辺の川端で迷惑をするのがお誓さんで――実は梅水という牛屋の女中さん。……御新規お一人様、なまで御酒……待・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・ 私はその手つきを見るたびに、いかに風采が上らぬとも、この手だけで岡惚れしてしまう年増女もあるだろうと、おかしげな想像をするのだったが、仲居の話では、大将は石部金吉だす。酒も煙草も余りやらぬという。併し、若い者の情事には存外口喧しくなく・・・ 織田作之助 「世相」
・・・「名山さん、お前岡惚れしておいでだッたね」「虚言ばッかし。ありゃ初緑さんだよ」「吉里さんは死ぬほど惚れていたんだね」「そうだろうさ。あの善さんたア比較物にもなりゃしないもの」「どうして善さんを吉里さんは情夫にしたんだろう・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
出典:青空文庫