・・・塩髯を貯えた、頤の尖った、背のずんぐりと高いのが、絣の綿入羽織を長く着て、霜降のめりやすを太く着込んだ巌丈な腕を、客商売とて袖口へ引込めた、その手に一条の竹の鞭を取って、バタバタと叩いて、三州は岡崎、備後は尾ノ道、肥後は熊本の刻煙草を指示す・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・文化九年、備後国深安郡八尋村に生まれた。名は、重美。前名、矢田柳三。孩児の頃より既に音律を好み、三歳、痘を病んで全く失明するに及び、いよいよ琴に対する盲執を深め、九歳に至りて隣村の瞽女お菊にねだって正式の琴三味線の修練を開始し、十一歳、早く・・・ 太宰治 「盲人独笑」
・・・そのとき長十郎の心のうちには、非常な難所を通って往き着かなくてはならぬ所へ往き着いたような、力の弛みと心の落着きとが満ちあふれて、そのほかのことは何も意識に上らず、備後畳の上に涙のこぼれるのも知らなかった。 長十郎はまだ弱輩で何一つきわ・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・宝泉院は陣貝吹の山伏にて、筒井順慶の弟石井備後守吉村が子に候。介錯は入魂の山伏の由に候。 某はこれ等の事を見聞候につけ、いかにも羨ましく技癢に堪えず候えども、江戸詰御留守居の御用残りおり、他人には始末相成りがたく、空しく月日の立つに任せ・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書」
・・・この外にまだ三右衛門の妹で、小倉新田の城主小笠原備後守貞謙の家来原田某の妻になって、麻布日が窪の小笠原邸にいるのがあるが、それは間に合わないで、酒井邸には来なかった。 三右衛門は医師が余り物を言わぬが好いと云うのに構わず、女房子供にも、・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
出典:青空文庫