・・・ベッドには、一人の患者がいなくなると、また別の傷病者がそのあとへやって来る。それがいなくなると、又次の者がやってくる。藁蒲団も毛布も幾人かの血や膿や汗で汚されていた。彼は、それをかむって、ひそかに自分を慰めた。 負傷者は、死ぬまで不自由・・・ 黒島伝治 「氷河」
・・・二日の午後三時に政府は臨時震災救護事務局というものを組織し、さしあたり九百五十万円の救護資金を支出して、り災者へ食糧、飲料水をくばり、傷病者の手あて以下、交通、通信、衛生、防備、警備の手くばりをつけました。同日午後五時に、山本伯の内閣が出来・・・ 鈴木三重吉 「大震火災記」
・・・火野葦平が、文芸春秋に書いたビルマの戦線記事の中には、アメリカの空軍を報道員らしく揶揄しながら、日本の陸軍が何十年か前の平面的戦術を継承して兵站線の尾を蜒々と地上にひっぱり、しかもそれに加えて傷病兵の一群をまもり、さらに惨苦の行動を行ってい・・・ 宮本百合子 「歌声よ、おこれ」
・・・という絵には光線がバラバラで画面のまとまりが悪かったけれど、生活的なおもしろさがありましたし、バリカンで頭を刈っている絵とか、傷病兵をかいた絵など、技術的には幼稚にちがいなくても、なにか人生の実感に触れたところがあって心ひかれました。 ・・・ 宮本百合子 「第一回日本アンデパンダン展批評」
・・・日本には六十万以上の戦争未亡人がおり、多数の父を失った子ら、生活に困っている傷病軍人がいます。世界中の婦人が第二次大戦で受けた傷のために今日まだ苦痛の声をあげています。日本の女性は盲目的に戦争にかり立てられた自分たちの運命について次第に深刻・・・ 宮本百合子 「平和を保つため」
・・・出征軍人の見送り、出迎え、傷病兵慰問、官製婦人団体が組織する細々とした労働奉仕――例えば米の配給所の仕事を手伝うために、孔の明いた米袋を継ぐために集るとか、婦人会が地区別に工場へ手伝いに出るとか、陸軍病院へ洗い物、縫物などのために動員される・・・ 宮本百合子 「私たちの建設」
出典:青空文庫