・・・自然主義を捨て、盲目的反抗と元禄の回顧とを罷めて全精神を明日の考察――我々自身の時代に対する組織的考察に傾注しなければならぬのである。 五 明日の考察! これじつに我々が今日においてなすべき唯一である、そうしてまたす・・・ 石川啄木 「時代閉塞の現状」
・・・ まず、彼は売薬業者の眼のかたきである医者征伐を標榜し、これに全力を傾注した。「眼中仁なき悪徳医師」「誤診と投薬」「薬価二十倍」「医者は病気の伝播者」「車代の不可解」「現代医界の悪風潮」「只眼中金あるのみ」などとこれをちょっと変えれば、・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・半僧坊のおみくじでは、前途成好事――云々とあったが、あの際大吉は凶にかえるとあの茶店の別ピンさんが口にしたと思いますが、鎌倉から東京へ帰り、間もなく帰郷して例の関係事業に努力を傾注したのでしたが、慣れぬ商法の失敗がちで、つい情にひかされやす・・・ 葛西善蔵 「父の出郷」
・・・いまここで、いちいち諸君に噛んでふくめるように説明してお聞かせすればいいのかも知れないが、そんな事に努力を傾注していると、君たちからイヤな色気を示されたりして、太宰もサロンに迎えられ、むざんやミイラにされてしまうおそれが多分にあるので、私は・・・ 太宰治 「十五年間」
・・・歴史及び伝説中の偉大なる人物に対する敬虔の心を転じて之を匹夫匹婦が陋巷の生活に傾注することを好んだ。印象派の画家が好んで描いた題材を採って之を文章となす事を畢生の事業と信じた。後に僕は其主張のあまりに偏狭なることを悟ったのであるが、然し少壮・・・ 永井荷風 「申訳」
・・・と歌った懐古の情の悲しさに比較すれば、自分が芝の霊廟に対して傾注する感激の底には、かえって一層の痛切一層の悲惨が潜んでいなければならぬはずだと思うのである。 ポンペイの古都は火山の灰の下にもなお昔のままなる姿を保存していた実例がある。仏・・・ 永井荷風 「霊廟」
・・・そして、それを見のがさず、むしろその一点に人間的哀感を傾注してテーマを展開させてゆく作者の心を支配しているのは、今日で云われる反封建の意識でもないし、階級性とよばれるものでもない。こういうテーマの展開の中には「貧しき人々の群」の余韻がある。・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第二巻)」
・・・デュガールよりも以前のヨーロッパの諸作家たちはそれぞれすぐれた才能を傾注しながらも、「轍の下」にしても「青春彷徨」にしても、主人公個人の内的経験だけを主として辿って人間形成を描いている。些細な個人的モメントによって展開されてゆく人格形成――・・・ 宮本百合子 「生きつつある自意識」
・・・当然、見物より先に傾注し、活々とした反応を示すべき周囲が、冷やかに納り込んで、一人舞台の芸を種々な感情で観察でもしているように見えるのはどういうものだろう。切角イサベルが興奮し、熱烈になっても、何処にも其に交響する温い心の連絡が感じられない・・・ 宮本百合子 「印象」
・・・フロレンスは、二十五歳で、看護婦の仕事こそ自分の全力を傾注するに足る社会的な事業だと思いきめたのであった。 十九世紀中葉のその時代のイギリスで、病人の看護をするのが聖業であるというような女は、他のまともな正業には従えない女、主として・・・ 宮本百合子 「フロレンス・ナイチンゲールの生涯」
出典:青空文庫