・・・そして今、全然失敗して帰ッて来た、しかしかくまでに人々がわれに優しいこととは思わなかった。 彼は驚いた、兄をはじめ人々のあまりに優しいのに。そして泣いた、ただ何とはなしにうれしく悲しくって。そしてがっかりして急に年を取ッた。そして希望な・・・ 国木田独歩 「河霧」
・・・と他の意に逆らわぬような優しい語気ではあるが、微塵も偽り気は無い調子で、しみじみと心の中を語った。 そこで互に親み合ってはいても互に意の方向の異っている二人の間に、たちまち一条の問答が始まった。「どこへでも出て辛棒をするって、そ・・・ 幸田露伴 「雁坂越」
・・・刑事の方がかえって面喰らって、「まあ/\、こういう時にはそれ一人息子だ。優しい言葉の一つ位はかけてやるもンだよ。」すると、くるりと向き直って「えッ、お前さんなんて黙ってけずかれ!」とがなりかえした。ところが、その進が右手一杯にホウ帯をしてい・・・ 小林多喜二 「母たち」
・・・その私が自分の側へ来たものの顔をよく見て居るうちに、今迄思いもよらなかったような優しい微笑をすら見つけた。私は以前に「冬」に言ったと同じ調子で、この客に尋ねて見ずには居られなかった。「お前が『貧』か。」「そういうお前は私を誰だと思う・・・ 島崎藤村 「三人の訪問者」
・・・あれでも気の優しい素直な男だわ。お前さんもあんな男を亭主に持てば好かったのだわ。何を笑うの。それにね、あの人は堅いのよ。わたしより外の女に関係していないということは、わたし受け合っても好いの。なぜ笑うの。いつかもわたしに打ち明けて話したわ。・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:森鴎外 「一人舞台」
・・・言葉にこそ云わないけれども、彼女は、いかにも可愛くて堪らなそうに何か呟きます、牛共は、どんなに多くの言葉より、此優しい呟きをさとりました。彼女があやし、叱り、機嫌などを取ってやると、喋る大人がしてやるより、遙か素直にききわけます。 スバ・・・ 著:タゴールラビンドラナート 訳:宮本百合子 「唖娘スバー」
兄妹、五人あって、みんなロマンスが好きだった。長男は二十九歳。法学士である。ひとに接するとき、少し尊大ぶる悪癖があるけれども、これは彼自身の弱さを庇う鬼の面であって、まことは弱く、とても優しい。弟妹たちと映画を見にいって、これは駄作だ・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・それが優しい、褐色の、余り大きいとさえ云いたいような、余りきらきらする潤いが有り過ぎるような目の中から耀いて見える。 無邪気な事は小児のようである。軽はずみの中にさえ、子供めいた、人の好げな処がある。物を遣れば喜ぶ。装飾品が大好きである・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
・・・ その×は色の白い女のように優しい子であったが、それが自分に対して特別に優し味と柔らか味のある一風変った友達として接近していた。外の事は覚えていないがただ一事はっきり覚えているのは、この子が自分にときどき梟をやろうとか時鳥をやろうとかま・・・ 寺田寅彦 「鷹を貰い損なった話」
・・・ 何事にも極く砕けて、優しい母上は田崎の様子を見て、「あぶないよ、お前。喰いつかれでもするといけないから、お止しなさい。」「奥様、堂々たる男子が狐一匹。知れたものです。先生のお帰りまでに、きっと撲殺してお目にかけます。」 田・・・ 永井荷風 「狐」
出典:青空文庫