・・・「先生、永々の御介抱、甚太夫辱く存じ申す。」――彼は蘭袋の顔を見ると、床の上に起直って、苦しそうにこう云った。「が、身ども息のある内に、先生を御見かけ申し、何分願いたい一儀がござる。御聞き届け下さりょうか。」蘭袋は快く頷いた。すると甚太夫は・・・ 芥川竜之介 「或敵打の話」
・・・私はいったい画伯とか先生とかのくっ付いた画かきが大きらいなんだけれども、……いやよ、ほんとうにあいつらは……なんていうと、お高くとまる癖にひとの体にさわってみたがったりして……けれどもお金にはなるわね。あなたがたみたいに食べるものもなくなっ・・・ 有島武郎 「ドモ又の死」
・・・僕が横寺町の先生の宅にいた頃、「読売」に載すべき先生の原稿を、角の酒屋のポストに投入するのが日課だったことがある。原稿が一度なくなると復容易に稿を更め難いことは、我も人も熟く承知している所である。この大切な品がどんな手落で、遺失粗相などがあ・・・ 泉鏡花 「おばけずきのいわれ少々と処女作」
・・・老爺は突然先生とよんだ。かれはいかに予を観察して先生というのか、予は思わず微笑した。かれは、なおかわいらしき笑いを顔にたたえて話をはじめたのである。「先生さまなどにゃおかしゅうござりましょうが、いま先生が水が黒いとおっしゃりますから、わ・・・ 伊藤左千夫 「河口湖」
・・・僕は大切な時間を取られるのが惜しかったので、いい加減に教えてすましてしまうと、「うちの芸者も先生に教えていただきたいと言います」と言い出した。「面倒くさいから、厭だよ」と僕は答えたが、跡から思うと、その時からすでにその芸者は僕を・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・「先生マダ起きているな、」と眺めていると、その中にプッと消えた。急いで時計を見ると払暁の四時だった。「これじゃアとても競争が出来ない、」とその後私の許へ来て話した。 尤も二時三時まで話し込むお客が少くなかったのだから、書斎のアカリの消え・・・ 内田魯庵 「鴎外博士の追憶」
・・・そこで私が先日東京へ出ましたときに、先生が「ドウです内村君、あなたは『基督教青年』をドウお考えなさいますか」と問われたから、私は真面目にまた明白に答えた。「失礼ながら『基督教青年』は私のところへきますと私はすぐそれを厠へ持っていって置いてき・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
・・・といった、若い上野先生の言葉が記憶に残っていて、そして、いつのまにか、その好きだった先生のことを思い出していたのであります。 すでに、彼女は、いくつかの停留場を電車にも乗ろうとせず通りすごしていました。ものを考えるには、こうして暗い道を・・・ 小川未明 「青い星の国へ」
・・・「はい、それは見せますにしましても、先生のお見立てではもう……」「そうです。もう疑いなく尿毒性と診断したんです! しかしほかの医者は、どうまた違った意見があるかも分りません」「それで何でございましょうか、先生のお見立て通りでござ・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・この頃は気持が乱れていますのんか、お手が下ったて、お習字の先生に叱られてばっかりしてますんです。ほんまに良い字を書くのは、むつかしいですわね。けど、お習字してますと、なんやこう、悩みや苦しみがみな忘れてしまえるみたい気イしますのんで、私好き・・・ 織田作之助 「秋深き」
出典:青空文庫