・・・という間もなく入口ががらりと開いて「お母さん、はいりました」と言いつつ弟は台所に上って、声を上げて泣きだしました、この時、始めて病人は「良ちゃん、よかったね」と、久し振りに笑顔を見せました。 其夜半から看護婦が来ました。看護婦は直ぐ病人・・・ 梶井久 「臨終まで」
・・・港の入口の暗礁へ一隻の駆逐艦が打つかって沈んでしまったのだ。鉄工所の人は小さなランチヘ波の凌ぎに長い竹竿を用意して荒天のなかを救助に向かった。しかし現場へ行って見ても小さなランチは波に揉まれるばかりで結局かえって邪魔をしに行ったようなことに・・・ 梶井基次郎 「海 断片」
・・・ 会堂に着くと、入口の所へ毛布を丸めて投げ出して、木村の後ろについて内に入ると、まず花やかな煌々としたランプの光が堂にみなぎっているのに気を取られました。これは一里の間、暗い山の手の道をたどって来たからでしょう。次にふわりとした暖かい空・・・ 国木田独歩 「あの時分」
・・・ 松木は、防寒靴をはき、ズボンのポケットに両手を突きこんで、炊事場の入口に立っていた。 風に吹きつけられた雪が、窓硝子を押し破りそうに積りかかっていた。谷間の泉から湧き出る水は、その周囲に凍てついて、氷の岩が出来ていた。それが、丁度・・・ 黒島伝治 「渦巻ける烏の群」
・・・ 今この村の入口へ川上の方から来かかった十三ばかりの男の児がある。山間僻地のここらにしてもちと酷過ぎる鍵裂だらけの古布子の、しかもお坊さんご成人と云いたいように裾短で裄短で汚れ腐ったのを素肌に着て、何だか正体の知れぬ丸木の、杖には長く天・・・ 幸田露伴 「雁坂越」
・・・――ところが、その入口で母親が急に道端にしゃがんで、顔を覆ってしまった。妹は吃驚した。何べんもゆすったが、母親はそのまゝにしていた。「お母ッちや、お母ッちゃてば!」 汽車に乗って遥々と出てきたのだが、然し母親が考えていたよりも以上に・・・ 小林多喜二 「争われない事実」
・・・というは、隣家にめぐらしてある高いトタン塀から来る反射が、まともにわたしの家の入口の格子をも露地に接した窓をも射るからであった。わたしはまだ日の出ないうちに朝顔に水をそそぐことの発育を促すに好い方法であると知って、それを毎朝の日課のようにし・・・ 島崎藤村 「秋草」
・・・それから一ばんしまいに、入口の門へも錠前を下しました。そして、それだけの鍵をみんな持って、ウイリイと一しょにお城を立ちました。 二人は長い長い道を歩いて、やっと海ばたへ着きました。船はすぐに帆を上げて、もと来た大海へ引きかえしました。王・・・ 鈴木三重吉 「黄金鳥」
・・・ おかあさんはまた入り口の階段を上ってみますと、はえしげった草の中に桃金嬢と白薔薇との花輪が置いてありましたが、花よめの持つのにしては大き過ぎて見えました。 それから露縁に上って案内をこうてみました。 答える人はありませんので住・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:有島武郎 「真夏の夢」
・・・満員で坐れなかった。入口からあふれるほど一ぱいのお客が押し合いへし合いしながら立って見ていて、それでも、時々あはははと声をそろえて笑っていた。客たちにもまれもまれて、かず枝は、嘉七のところから、五間以上も遠くへ引き離された。かず枝は、背がひ・・・ 太宰治 「姥捨」
出典:青空文庫