・・・その話を聞いた老人夫婦は内心この腕白ものに愛想をつかしていた時だったから、一刻も早く追い出したさに旗とか太刀とか陣羽織とか、出陣の支度に入用のものは云うなり次第に持たせることにした。のみならず途中の兵糧には、これも桃太郎の註文通り、黍団子さ・・・ 芥川竜之介 「桃太郎」
・・・たちまち伸びたり縮んだりしながら、「次の時間に入用なのです。」と云った。 保吉はもと降りた階段を登り、語学と数学との教官室へはいった。教官室には頭の禿げたタウンゼンド氏のほかに誰もいない。しかもこの老教師は退屈まぎれに口笛を吹き吹き・・・ 芥川竜之介 「保吉の手帳から」
・・・さっき八っちゃんがにこにこ笑いながら小さな手に碁石を一杯握って、僕が入用ないといったのも僕は思い出した。その小さな握拳が僕の眼の前でひょこりひょこりと動いた。 その中に婆やが畳の上に握っていた碁石をばらりと撒くと、泣きじゃくりをしていた・・・ 有島武郎 「碁石を呑んだ八っちゃん」
・・・――もっとも十ぐらいまでの小児が、家からここへ来るのには、お弁当が入用だった。――それだけに思出がなお深い。 いま咲く草ではないけれども、土の香を親しんで。……樹島は赤門寺を出てから、仁王尊の大草鞋を船にして、寺々の巷を漕ぐように、秋日・・・ 泉鏡花 「夫人利生記」
・・・――差し出たことだが、一尾か二尾で足りるものなら、お客は幾人だか、今夜の入用だけは私がその原料を買ってもいいから。」女中の返事が、「いえ、この池のは、いつもお料理にはつかいませんのでございます。うちの旦那も、おかみさんも、お志の仏の日には、・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・これは明日に入用の品である。若い者の取落したのか、下の帯一筋あったを幸に、それにて牛乳鑵を背負い、三箇のバケツを左手にかかえ右手に牛の鼻綱を取って殿した。自分より一歩先に行く男は始めて牛を牽くという男であったから、幾度か牛を手離してしまう。・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・「あれが入り用だから、取りに来ました」「そう?」吉弥は無関係なように長い煙管をはたいた。 こんな話をしているうちに、跡の二人は食事を済ませ、家根屋の持って来るような梯子を伝って、二階へあがった。相撲取りのように腹のつき出た婆アや・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・ 僕は、帰京したら、ひょッとすると再び来ないで済ませるかも知れないと思ったから、持って来た書籍のうち、最も入用があるのだけを取り出して、風呂敷包みの手荷物を拵えた。 遅くなるから、遅くなるからと、たびたび催促はされたが、何だか気が進・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・大きな酒屋で小僧が入り用だというから、そこへ龍雄をやってはどうだ。」といいました。両親は、おじいさんの世話だから、安心してすぐにやることに決めました。「龍雄や、今度はしんぼうしなければならんぞ。」と父親はいいました。 龍雄は・・・ 小川未明 「海へ」
・・・ このとき、信吉は、「ご入用なら、あげます。」といいました。 博士の目は、たちまち、感謝にかがやきました。「それなら、大学の研究室へ寄付していただきましょう。ひじょうに、有益な研究資料となるのです。私が、多年探していたものが・・・ 小川未明 「銀河の下の町」
出典:青空文庫