・・・お前たちの母上は全快しない限りは死ぬともお前たちに逢わない覚悟の臍を堅めていた。二度とは着ないと思われる――そして実際着なかった――晴着を着て座を立った母上は内外の母親の眼の前でさめざめと泣き崩れた。女ながらに気性の勝れて強いお前たちの母上・・・ 有島武郎 「小さき者へ」
・・・それじゃ全快っても死んでしまいます。いいからこのままで手術をなさいと申すのに」 と真白く細き手を動かし、かろうじて衣紋を少し寛げつつ、玉のごとき胸部を顕わし、「さ、殺されても痛かあない。ちっとも動きやしないから、だいじょうぶだよ。切・・・ 泉鏡花 「外科室」
・・・め、新に大審院の判事に任ぜられると直ぐに暑中休暇になったが、暑さが厳しい年であったため、痩せるまでの煩いをしたために、院が開けてからも二月ばかり病気びきをして、静に療養をしたので、このごろではすっかり全快、そこで届を出してやがて出勤をしよう・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・ それから熱が醒めて、あの濡紙を剥ぐように、全快をしたんだがね、病気の品に依っては随分そういう事が有勝のもの。 お前の女に責められるのも、今の話と同じそれは神経というものなんだから、しっかりして気を確に持って御覧、大丈夫だ、きっとそ・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・及ビマシタノデ、仰セノ通リアノ時分ノコトヲオモイマスト、何ダカオカシクナリマス病気ヲオタズネ下サイマシタガ、コレハ重イトイエバ重イ、軽イトイエバ軽イ、ドチラニモナリマスノデ、カノ本復スルカト思エバ全快スノ方ノ組デス、当所へ参リマス前、凡・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・…… ――其の後、売薬規則の改備によって、医師の誹謗が禁じられると、こんどは肺病全快写真を毎日掲載して、何某博士、何某医院の投薬で治らなかった病人が、川那子薬で全快した云々と書き立てた。世の人心を瞞着すること、これに若くものはない。・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・幸い一命を取りとめ、手術もせずに全快したのは一枝や、千代やそれから千代の隣の水原芳枝という駅の改札員をしている娘たちの看病の賜といってはいい過ぎだろうか。この三人は小隊長の病気以来ずっとこの家に泊りこんでいるのである。オトラ婆さんだけに小隊・・・ 織田作之助 「電報」
・・・ 見ず知らずの人達と一緒ではあるが患者同志が集団として暮して行くこと、旧い馴染の看護婦が二人までもまだ勤めていること、それに一度入院して全快した経験のあること――それらが一緒になって、おげんはこの病院に移った翌日から何となく別な心地を起・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・これはひょっとしたら、単純な結膜炎では無く、悪質の黴菌にでも犯されて、もはや手おくれになってしまっているのではあるまいかとさえ思われ、別の医者にも診察してもらったが、やはり結膜炎という事で、全快までには相当永くかかるが、絶望では無いと言う。・・・ 太宰治 「薄明」
・・・あなたは、からだも、まだ全快じゃないのだし、僕が、責任を以て、あなたの身柄を引き受けました。」「すみません。」ふたたび、消え入るようにわびを言った。「いいえ。僕のことは、どうでもいいんだけど、」青年は、あれこれ言っているうちに、この・・・ 太宰治 「火の鳥」
出典:青空文庫