・・・哀れな姫君の寝姿がピアニシモで消えると同時に、グヮーッとスフォルザンドーで朗らかなパリの騒音を暗示する音楽が大波のようにわき上がり、スクリーンにはパリの町の全景が映出される。ここの気分の急角度の転換もよくできている。 モーリスがシャトー・・・ 寺田寅彦 「音楽的映画としての「ラヴ・ミ・トゥナイト」」
・・・ 茅町の岸は本郷向ヶ岡の丘阜を背にし東に面して不忍池と上野の全景とを見渡す勝概の地である。然しわたくしの知人で曾てこの地に卜居した者の言う所によれば、土地陰湿にして夏は蚊多く冬は湖上に東北の風を遮るものがないので寒気甚しくして殆ど住むに・・・ 永井荷風 「上野」
・・・ 吉原田圃の全景を眺めるには廓内京町一、二丁目の西側、お歯黒溝に接した娼楼の裏窓が最もその処を得ていた。この眺望は幸にして『今戸心中』の篇中に委しく描き出されている。即ち次の如くである。忍ヶ岡と太郎稲荷の森の梢には朝陽が際立ッて・・・ 永井荷風 「里の今昔」
・・・百日紅の大木の蟠った其縁先に腰をかけると、ここからは池と庭との全景が程好く一目に見渡されるようになっている。苗のまだ舒びない花畑は、その間の小径も明かに、端から端まで目を遮るものがないので、もう暮近いにも係らず明い心持がする。池のほとりには・・・ 永井荷風 「百花園」
・・・顧ると、大島町から砂町へつづく工場の建物と、人家の屋根とは、堤防と夕靄とに隠され、唯林立する煙突ばかりが、瓦斯タンクと共に、今しも燦爛として燃え立つ夕陽の空高く、怪異なる暮雲を背景にして、見渡す薄暮の全景に悲壮の気味を帯びさせている。夕陽は・・・ 永井荷風 「放水路」
・・・此処からは、何処にも私の懐しい自然全景を見出すことは出来ない。視覚の束縛のみではない。心がつき当る。東を向いても、西を向いても。豊かに律を感じて拡がろうとする魂が、彼方此方で遮られて、哀れな戸惑いをする。ああ、野原、野原。私の慾しいものは、・・・ 宮本百合子 「餌」
・・・ラジオ拡声機の大ラッパは広場じゅうへ活溌な行進曲を弾き出し、全景は赤い! 赤い! 黒い壁となって河岸まで押し出した群集は、カーメンヌイ・モストのたもとで一時ホッと息をいれた。河風は涼しい。遠くで夜空を燃している光の家、労働宮のイルミネー・・・ 宮本百合子 「子供・子供・子供のモスクワ」
・・・ランガム・ホテル全景。第五階とことわりがきのしてあるところを辿ってホテルの窓を下からのぼって見ると、屋根部屋のすぐ下に当る。当時でもヨーロッパではホテルの階が上である程やすいということにかわりはなかったのであろう。 書簡・・・ 宮本百合子 「中條精一郎の「家信抄」まえがきおよび註」
・・・それから全景の上に斜の線を引いて、出来上ったものを主人のところへ持って行った。 眉をつり上げて、気むずかしげに主人が訊いた。「こりゃ一体何だ?」「雨が降ってるところなんです」ゴーリキイは説明した。「雨降りの日にはどんな家でも曲っ・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの伝記」
出典:青空文庫