・・・そうしてそれらの断片が何個集まって一つの系列あるいはエピソードを成すかを決定してその全長を計算し、そういう系列の何個が全編を成すかを定めなければならない。 実際には、監督の人によっては、かなりにルースな方法による人はあるであろうが、原則・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・ラッパはむしろ添え物であって、太鼓の音の最も単純なリズムがこの一編のライトモチーフであり、この音の弛張が全編のドラマの曲折を描いて行くのである。ヒロインの心臓はこの太鼓の音と共に生き共に鼓動する。そうして彼女の心の態度はこのライトモチーフの・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・の報告とでもいったようなものが全編の中に織り込まれているように思われる。それでそういう事に特に興味のある人たちにはその点がおもしろいのかもしれないが主として詩と俳諧とを求めるような観客にとっては、何かしらある問題を押し売りされるような気持ち・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(4[#「4」はローマ数字、1-13-24])」
・・・この三人が、姫君のためにはハッピーエンド、彼らの目には悲劇であるかもしれない全編の終局の後に、短いエピローグとして現われ、この劇の当初からかかっていた刺繍のおとぎ話の騎士の絵のできあがったのを広げてそうして魔女のような老嬢の笑いを笑う。運命・・・ 寺田寅彦 「音楽的映画としての「ラヴ・ミ・トゥナイト」」
・・・が現われ、最後に、ゆるやかなあげ句で、ちょうど春の夕暮れのような心持ちで全編が終結するのである。これはもちろんラルゴかレントの拍子である。このように連句の場合では1と4が緩徐であるのに、音楽のほうでは1と4が急テンポである事自身がまたわれわ・・・ 寺田寅彦 「連句雑俎」
・・・このような考えから、私はこの懺悔とも論文ともつかないものを書いてしまった。この全編の内容が一般の読者の「笑い」の対象になっても、それはやむを得ないのである。 この稿をだいたい書いてしまって後に、ベルグソンの「笑い」という書物が手に入って・・・ 寺田寅彦 「笑い」
・・・然るに此女大学の全編、曾て一語も女子智育の要に論及したることなきは遺憾と言う可し。扨又本章中、人を誹り偽を言う可らず、人の謗を伝え語る可らず云々は、固より当然のことにして、特に婦人に限らず男子に向ても警しむ可き所のものなれば、評論を略す。・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・ この全編の大略を概していえば、天下の人心、直接すればその交をまっとうすべからず。今の世間に、この流行病あり。開国以来、我が日本の人心は、守旧と改進と二流に分れて、今の政府は改進の方にあるものなり。然るに、改進の学者流と政府との間に不和・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
・・・ 然らばすなわち、徳行の条目を示し、人たるものはかくあるべし、かくあるべからずと、ていねい反覆その利害を説明して、少年の心を薫陶するこそ、徳育の本意なるべきに、全編の文面を概すれば、むしろ心理学の解釈とも名づくべきものにして、読者をして・・・ 福沢諭吉 「読倫理教科書」
出典:青空文庫