・・・、駿州清見寺内に石碑あり、この碑は、前年幕府の軍艦咸臨丸が、清水港に撃たれたるときに戦没したる春山弁造以下脱走士の為めに建てたるものにして、碑の背面に食人之食者死人之事の九字を大書して榎本武揚と記し、公衆の観に任して憚るところなきを見れば、・・・ 福沢諭吉 「瘠我慢の説」
・・・わたくしもみんなのあとから役所を出て、いままでの通り公衆食堂で食事をして競馬場へ帰って来ました。するとやっぱりよほど疲れていたと見えて、ちょっと椅子へかけたと思ったら、いつかもうとろとろ睡ってしまっていました。その甘ったるい夕方の夢のなかで・・・ 宮沢賢治 「ポラーノの広場」
・・・ 公衆の面前で、一定の人間を、これでもか、これでもか、というふうにあつかったことは、直接そういう目にあうものを極度に苦しめたばかりでなく、ある距離をもってそのぐるりをかこみ、その光景を目撃している、より多数の、より不安定な条件におかれて・・・ 宮本百合子 「ある回想から」
・・・ 民主的な国で「公衆」というとき、それは個々の「私」が幾千幾万と、より集った、最も実力のある、決定権をもったものとして、見られています。ところが日本ではどうでしょうか。「公衆食堂」へ農林大臣が食事に行ったという例があったでしょうか。・・・ 宮本百合子 「公のことと私のこと」
・・・ 分りにくい建物の細い横のようなところから廊下をとおって、先ず公衆待合室というところへ行きました。外見は立派な役所に似ず薄暗いきたないところに床几が並んでいます。そこにもう二十人近い男女のひとが来ていましたが、初めてこういうところへ来て・・・ 宮本百合子 「共産党公判を傍聴して」
・・・日本の議会に圧倒的多数を占めて政権をもった政党が、全くその名を穢辱し、投票者たちを侮辱して公衆の目前にさらした数々のみにくさを考えながら。 吉田首相は、新内閣を組織し、議会を再開した。しかし一般施政方針について演説しない。そのことで・・・ 宮本百合子 「現代史の蝶つがい」
・・・元来は一つの宗教運動で、公衆の前で自分の罪を告白し悔い改めることを眼目としたが、告白の内容は性的なものが多く、オックスフォード大学からの抗議でオックスフォード運動という名前を使うことをやめさせられた。アメリカでもプリンストン大学では、校内で・・・ 宮本百合子 「再武装するのはなにか」
・・・男性と同等の教育をうくべきものであると云う公衆の理解がなければ如何うでございましょう。 女性が人として存在を認められない場合、一般の婦人界が、人類の線上まで浮び上る事は出来ないのでございます。 私は、米国婦人の伸張された権利と、知識・・・ 宮本百合子 「C先生への手紙」
・・・然るに国民之友の主筆徳富猪一郎君が予の語る所を公衆に紹介しようと思い立たれて、丁度今猪股君が予に要求せられる通りに要求せられた。これが予が個人と語ることから、公衆と語ることに転じた始で、所謂鴎外漁史はここに生れた。それから東京の新聞雑誌が、・・・ 森鴎外 「鴎外漁史とは誰ぞ」
・・・彼の職務は或る作品がいかなる芸術的価値を持つかを定めることではなく、ただそれが公開される場合に公衆に対していかなる影響を及ぼすかを精確に判定し、その影響が社会の秩序を紊乱し善良な風俗を壊乱するようなものであった場合に、その公開を禁止すること・・・ 和辻哲郎 「蝸牛の角」
出典:青空文庫