・・・――江戸の町人に与えた妙な影響を、前に快からず思った内蔵助は、それとは稍ちがった意味で、今度は背盟の徒が蒙った影響を、伝右衛門によって代表された、天下の公論の中に看取した。彼が苦い顔をしたのも、決して偶然ではない。 しかし、内蔵助の不快・・・ 芥川竜之介 「或日の大石内蔵助」
・・・私はいつも云っていたことですが、滝田さんは、徳富蘇峰、三宅雄二郎の諸氏からずっと下って僕等よりもっと年の若い人にまで原稿を通じて交渉があって、色々の作家の逸話を知っていられるので、もし今後中央公論の編輯を誰かに譲って閑な時が来るとしたら、そ・・・ 芥川竜之介 「夏目先生と滝田さん」
・・・「……終りに臨んで、私は中央公論の読者諸君に申しあげたい。諸君は、小説家やジャーナリストの筆先に迷って徒らに帝都の美に憧れてはならない。われわれの国の固有の伝統と文明とは、東京よりも却って諸君の郷土に於て発見される。東京にあるものは、根・・・ 織田作之助 「東京文壇に与う」
・・・中外公論よりの百枚以上の小説かきたまえ、と命令、よき読者、杉山氏へのわが寛大の出来すぎた謝辞とを思い合せて、まこと健康の祝意示して、そっと微笑み、作家へ黙々握手の手、わずかに一市民の創生記、やや大いなる名誉の仕事与えられて、ほのぼのよみがえ・・・ 太宰治 「創生記」
・・・しかし百年の公論は必ずその事を惜しんで、その志を悲しむであろう。要するに人格の問題である。諸君、我々は人格を研くことを怠ってはならぬ。 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・ ゆえに本書の如きは民間一個人の著書にして、その信不信をばまったく天下の公論に任じ、各人自発の信心をもってこれを読ましむるは、なお可なりといえども、いやしくも政府の撰に係るものを定めて教科書となし、官立・公立の中学校・師範学校等に用うる・・・ 福沢諭吉 「読倫理教科書」
「貧しき人々の群」は一九一六年、十八歳のときに書かれた。そして、その年の秋中央公論に発表された。「貧しき人々の群」は、稚いけれども純朴な人道的なこころもちと、自然の豊富さ、人間生活への感動にたってかかれている。少女だった・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第一巻)」
・・・即ち小説は一九三九年の九月にかいて十一月の中央公論に発表された「杉垣」が、禁止以来はじめての作品である。それまで、ちょっとした随筆を二三篇かき、その一つであった「清風おもむろに吹き来つて」という随筆がきっかけとなって、明治から現代までの文学・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第五巻)」
・・・ 一九三一年七月中央公論のためにかかれた「文芸時評」は、全篇がその五月にもたれた「ナップ」第三回大会報告となっている。中央公論の編輯者ばかりでなく、多くの人が、その素朴さにおどろいた。わたしはそんなに人におどろかれるわたしの素朴さという・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第十巻)」
・・・一九三五年四月に中央公論に発表されて間もなく五月十何日であったかに、再び検挙された。「おもかげ」「広場」二つとも一九三九年の暮にかかれた。きょう読むと、どっちも、ほんとに苦しい小説である。主題が緊張しているばかりでなく、云いたいことを云・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第四巻)」
出典:青空文庫