・・・今日、大多数の若い人々が、男女にかかわらずそれぞれの恋愛について、私的なことであるが又公的なことでもあるとする一つの公開的態度をもって対する根本には、上述のように、恋愛の含む広い複雑な社会性の意識がいつとなく作用しているからである。 若・・・ 宮本百合子 「成長意慾としての恋愛」
・・・という雑誌の九月号に「小林秀雄氏へ」という公開状を書いた小原元という人は、『新日本文学』に試作を発表した三人のかたよりは、ずっと既成文学のいきさつに通じ、その語彙をうけついでいますが、やっぱり一つの新しい力、新しい存在感の上に立っている方の・・・ 宮本百合子 「一九四六年の文壇」
・・・っていう優秀映画館で公開された時は素敵だった。伴奏は特別作曲された音楽だったし。 帝国主義と植民地とがどういう関係におかれているかということの真実が堂々としたプドフキンの芸術的手腕で把握されていた。 ところがね、面白いことには、・・・ 宮本百合子 「ソヴェトの芝居」
・・・ その他公開の席でちょいちょい会うきりで、その俥に乗って田端の坂を登って行った時以上私の友としての心持は進みませんでした。 七月二十四日に私は母を連れて福島県の田舎へ出立した。二十六日の昼頃、私の友達からの電報、新聞、ハガキ一度・・・ 宮本百合子 「田端の坂」
・・・茶色クローズの表紙で鼠色紙の扉にノート風の細かいペン字で、 大学図書館ヲ公開スル事 東洋美術発行ノ事とあり、別行に、これは鉛筆で「電燈タングステン燈よろし」続けて、「木彫専門」「襖紙一式」等各建築関係専門店の名と所書きが・・・ 宮本百合子 「父の手帳」
・・・大衆的なプロレタリアート文学上の意見の相異はどこまでもプロレタリアート農民大衆の前で公開的に行われるべきだ。ソヴェトは『文学新聞』『労働者と芸術』などの上で常に活溌にいろんな問題を批判し清算しつつある。それをまるで箇人的に黒島一人ひっぱり出・・・ 宮本百合子 「ニッポン三週間」
・・・翌年の〔十二〕月一審判決まで不思議に人影の少い、しかし意味の深い「公開裁判」の法廷がひらかれつづけた。私としては実に多くのことを学んだこの公判の期間をとおして、一九四三年一月スターリングラードにおいて死守の命令をうけたナチス軍が消息・・・ 宮本百合子 「年譜」
・・・という封建的呼びかけをもった女名前の公開状がそれだ。 この文章の中には、実に基本的な事実の誤謬や、無知さが、偶然か故意か、現われている。或る部分はまるっきり間違った反動的風聞を基礎にして書かれた頼りないものだ。 ところで、これらの欠・・・ 宮本百合子 「反動ジャーナリズムのチェーン・ストア」
・・・私信になっているのは、礼状を遣れば済む。公開書になっているのも、罵詈がしてあれば、棄て置いても好い。あるいは棄て置くのが最紳士らしいかも知れない。また先方にも過誤がある場合には、それを捉えて罵詈の返報をすることも出来る。必ずしも自ら屈して自・・・ 森鴎外 「不苦心談」
芸術の検閲 ロダンの「接吻」が公開を禁止されたとき、大分いろいろな議論が起こった。がその議論の多くは、検閲官を芸術の評価者ででもあるように考えている点で、根本に見当違いがあったと思う。 検閲官は芸術の解らない人であって・・・ 和辻哲郎 「蝸牛の角」
出典:青空文庫