・・・場所は日比谷の陶陶亭の二階、時は六月のある雨の夜、――勿論藤井のこういったのは、もうそろそろ我々の顔にも、酔色の見え出した時分である。「僕はそいつを見せつけられた時には、実際今昔の感に堪えなかったね。――」 藤井は面白そうに弁じ続け・・・ 芥川竜之介 「一夕話」
・・・現に彼が、千七百二十一年六月二十二日、ムウニッヒの市に現れた事は、ホオルマイエルのタッシェン・ブウフの中に書いてある。―― これは近頃の事であるが、遠く文献を溯っても、彼に関する記録は、随所に発見される。その中で、最も古いのは、恐らくマ・・・ 芥川竜之介 「さまよえる猶太人」
・・・ 春の天気の順当であったのに反して、その年は六月の初めから寒気と淫雨とが北海道を襲って来た。旱魃に饑饉なしといい慣わしたのは水田の多い内地の事で、畑ばかりのK村なぞは雨の多い方はまだ仕やすいとしたものだが、その年の・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・明治四十四年六月 泉鏡花 「一景話題」
・・・明治三十八年六月 泉鏡花 「女客」
・・・ いつしか月も経って、忘れもせぬ六月二十二日、僕が算術の解題に苦んで考えて居ると、小使が斎藤さんおうちから電報です、と云って机の端へ置いて去った。例のスグカエレであるから、早速舎監に話をして即日帰省した。何事が起ったかと胸に動悸をは・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・ 明治三十年六月二十日東京青山において内村鑑三に及ぶ文章はあるまい。これはまったく外からの雑りのない、もっとも純粋なる英語であるだろう」と申しました。そうしてかくも有名なる本は何であるかというと無学者の書いた本でありま・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
・・・て、引き離されてしまったので、やけになり世にすねたあげく、いっそこの世を見限ろうとしたこともあるが、五年後の再会を思いだしたので、ふたたび発奮して九州へ渡り、高島、新屋敷などの鉱山を転々とした後、昨年六月から佐賀の山城礦業所にはいって働いて・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・ 六月十九日の大阪のある新聞に次のような記事が出ていた。「大阪曾根崎署では十九日朝九時、約五十名の制服警官をくり出して梅田自由市場の煙草販売業者の一斉取締りを断行、折柄の雑沓の中で樫棒、煉瓦が入れ交つての大乱闘が行はれ重軽傷者数・・・ 織田作之助 「大阪の憂鬱」
・・・かれこれするうち二月三月も経ち、忘れもしません六月七日の晩のことです。夜の八時ごろ、私はいつものようにお幸のもとに参りますと、この晩は宵から天気模様が怪しかったのが十時ごろには降りだして参りました。大降りにならぬうち、帰ろうと言い出しますと・・・ 国木田独歩 「女難」
出典:青空文庫