・・・ かくて六月十七日にいよいよ身延山に入った。彼は山中に読経唱題して自ら精進し、子弟を教えて法種を植え、また著述を残して、大法を万年の後に伝えようと志したのであった。さてその身延山中の聖境とはどんな所であろう。「此の山のていたらく……・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・ 五月にもやってきた。六月にもやってきた。七月にもやってきた。「畜生! あいつらのしつこいのには根負けがしそうだぞ!」 ワーシカは、夜が短い白夜を警戒した。涼しかった。黒竜江の濁った流れを見ながら、大またに、のしのしと行ったりき・・・ 黒島伝治 「国境」
・・・雨がやむと、蒸し暑い六月の太陽は、はげしく、僕等を頭から煎りつけた。 嫂は働かなかった。親爺も、おふくろも、虹吉も満足だった。親爺が満足したのは、田地持ちの分限者の「伊三郎」と姻戚関係になったからである。おふくろが満足したのは、トシエが・・・ 黒島伝治 「浮動する地価」
・・・ 永正四年六月二十三日だ。政元はそのような事を被官どもが企てているとも知ろうようはない。今日も例の通り厳冷な顔をして魔法修行の日課を如法に果そうとするほかに何の念もない。しかし戦乱の世である。河内の高屋に叛いているものがあるので、それに・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・ 六月十日木戸一郎 井原退蔵様 拝復。 先日は、短篇集とお手紙を戴きました。御礼おくれて申しわけありませんでした。短篇集は、いずれゆっくり拝読させて戴くつもりです。まずは、御礼まで。草々。 十八日井・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・ 五月がすぎて、六月になっても、やはり青扇からはなんの挨拶もないのであった。僕はまた彼の家に出むいて行かなければならなかったのである。 その日、青扇はスポオツマンらしく、襟附きのワイシャツに白いズボンをはいて、何かてれくさそうに恥ら・・・ 太宰治 「彼は昔の彼ならず」
・・・ 六月の二日か三日から稿を起こした。梅雨の降りしきる窓ぎわでは、ことに気が落ちついて、筆が静かな作の気分と相一致するのを感じた。そのくせ、その時分の私の生活は『田舎教師』を書くにはふさわしくない気分に満たされていた。焦燥と煩悶、それに病・・・ 田山花袋 「『田舎教師』について」
・・・すなわち「濃州では四月から七月までで、別して五六月が多いという。七月になりかかると、秋風が立ち初める、とギバの難は影を隠してしまう。武州常州あたりでもやはり四月から七月と言っている」。また晴天には現われず「晴れては曇り曇っては晴れる、村雲な・・・ 寺田寅彦 「怪異考」
・・・しかしとにかく一度ゴルフ場へお伴をして見学だけさせてもらおうということになって、今年の六月末のある水曜日の午前に二人で駒込から円タクを拾って赤羽のリンクへ出かけた。空梅雨に代表的な天気で、今にも降り出しそうな空が不得要領に晴れ、太陽が照りつ・・・ 寺田寅彦 「ゴルフ随行記」
・・・今年の六月、二十日ばかり道太の家に遊んでいた彼は、一つはその問題の解決に上京したのであったが、道太は応じないことにしていた。今になってみると、道太自身も姉に担がれたような結果になっているので、人のよすぎる姉に悪意はないにしても、姪の結婚に山・・・ 徳田秋声 「挿話」
出典:青空文庫