・・・国際局が、ソヴェト共和国に対する戦争勃発の際文学者は如何なる態度をとるべきかについて、世界の著名な作家の間から集めた意見は、曾てイズエスチャ紙上に掲載されたところである。 外国支部の指導において国際局は、プロレタリア作家乃至その団体の右・・・ 宮本百合子 「ニッポン三週間」
・・・最近では中国が、アジアにおけるヨーロッパ植民地の鎖をすてて人民共和国となった。ここにも新しい人間関係方面の一つの明瞭な成果があらわれてる。プロレタリア階級の独裁とはおのずから異ったその民族にとっての現実的な方法で、中国四億の人民生活――人間・・・ 宮本百合子 「「人間関係方面の成果」」
・・・ オノレ・ド・バルザックは、一七九九年五月、フランスが共和政体となった第七年目に中部フランス、トゥールの町に生れた。 貴族好みで「ド」をつけて自分の姓を呼んだが、バルザックの実際の家柄は貴族などではなく、彼が後年獰猛なのがその階・・・ 宮本百合子 「バルザックに対する評価」
・・・ また、ヴォルガ・カスピ海地方のあらゆる革命戦線に働き、共和国海軍司令部のコミサールをやった。 一九二〇年から二二年にかけてレイスネルはアフガニスタンへ外交官として暮した。翌年はドイツへ。 レイスネルの、豊富な革命的活動の経験、・・・ 宮本百合子 「プロレタリア婦人作家と文化活動の問題」
・・・一九四五年に東ヨーロッパに人民民主主義政権が確立し、北朝鮮の共和政権が生れ、一九四九年十月には中華人民共和国が出発した。わたしたちが日本のこんにちの現実の中に生き、そして死ななければならない八千五百万の日本人民の一人としての自分の人生を思う・・・ 宮本百合子 「文学と生活」
・・・からの分離の動因ともなったハリコフ会議、一九三〇年十一月に、ウクライナ共和国首府ハリコフで行われた国際革命文学書記局第二回世界大会の日本のプロレタリア文学運動に関する決議が、この大会で一九三一年度の「ナップ」活動方針に具体的に討議されるはず・・・ 宮本百合子 「文芸時評」
・・・「ロシアには下らない人間がたくさんいて共和制を欲しているということである。堪らないことである。」と考えたり、それら急進的な人々は「大学とすべての高等教育を廃止する」ものだという間違った説明をふきこまれたまま怒っている姿は哀れである。 ロ・・・ 宮本百合子 「マリア・バシュキルツェフの日記」
・・・p.79 共和主義なんてレッテルとポリテクニックの放校生なんていまいましい汚名を雪ごうと思った。デリケートで気のきいた、むずかしい――そう云った行動ばかりする気でいた。ところが五十四フランのがくぶちと五フランの石刷画ですむんだ。リュ・・・ 宮本百合子 「「緑の騎士」ノート」
・・・住民たちは、侵略の恐ろしい暴力とたたかったのであったが、このたびの第二次世界戦争においても、豊かに波だつ麦畑と、それを粉に挽く風車の故に、ウクライナ自治共和国は渾身の力をふるって敵に当らなければならなかった。 ウクライナの村々から、男は・・・ 宮本百合子 「よもの眺め」
・・・ 人民のための人民共和の政府がもたらされなければ、結局、婦人のために保育所一つ、授産所一つ作られないことが、わかって来たのは必然であると思う。モラトリアムと生活費値上りの恐ろしいばかりの食いちがいによって、人民生活は極限へ追いつめられよ・・・ 宮本百合子 「私たちの建設」
出典:青空文庫