・・・四人目には家中の若侍に、新陰流の剣術を指南している瀬沼兵衛が相手になった。甚太夫は指南番の面目を思って、兵衛に勝を譲ろうと思った。が、勝を譲ったと云う事が、心あるものには分るように、手際よく負けたいと云う気もないではなかった。兵衛は甚太夫と・・・ 芥川竜之介 「或敵打の話」
・・・あとには、吉田忠左衛門、原惣右衛門、間瀬久太夫、小野寺十内、堀部弥兵衛、間喜兵衛の六人が、障子にさしている日影も忘れたように、あるいは書見に耽ったり、あるいは消息を認めたりしている。その六人が六人とも、五十歳以上の老人ばかり揃っていたせいか・・・ 芥川竜之介 「或日の大石内蔵助」
一 樫井の戦いのあったのは元和元年四月二十九日だった。大阪勢の中でも名を知られた塙団右衛門直之、淡輪六郎兵衛重政等はいずれもこの戦いのために打ち死した。殊に塙団右衛門直之は金の御幣の指し物に十文字の槍・・・ 芥川竜之介 「古千屋」
一 木曾街道、奈良井の駅は、中央線起点、飯田町より一五八哩二、海抜三二〇〇尺、と言い出すより、膝栗毛を思う方が手っ取り早く行旅の情を催させる。 ここは弥次郎兵衛、喜多八が、とぼとぼと鳥居峠を越すと、日・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・ と給仕盆を鞠のように、とんとんと膝を揺って、「治兵衛坊主の家ですだよ。」「串戯ではない。紙屋で治兵衛は洒落ではないのか。」「何、人が皆そう言うでね。本当の名だか何だか知らないけど、治兵衛坊主で直きと分るよ。旦那さん、知って・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・喜兵衛どんの婆さんもいる。五郎兵衛どんの婆さんもいる。七兵衛の爺さんもいた。みんな湯に入ってしまって話しこんでいるらしい。だれか障子をあけて皆が省作に挨拶する。清さんは囲炉裏のはたにごろねをしていた。おとよさんだけが影も見えず声もしない。よ・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・ 淡島氏の祖の服部喜兵衛は今の寒月から四代前で、本とは上総の長生郡の三ヶ谷の農家の子であった。次男に生れて新家を立てたが、若い中に妻に死なれたので幼ない児供を残して国を飛出した。性来頗る器用人で、影画の紙人形を切るのを売物として、鋏一挺・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・刊本では、『夢想兵衛』と『八犬伝』とがあった。畢竟するに戯作が好きではなかったが、馬琴に限って愛読して筆写の労をさえ惜しまず、『八犬伝』の如き浩澣のものを、さして買書家でもないのに長期にわたって出版の都度々々購読するを忘れなかったというは、・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・ しかるに、ただ一人、『杉の杜のひげ』とあだ名せられて本名は並木善兵衛という老人のみが次のごとくに言った。『豊吉が何をしでかすものぞ、五年十年のうちにはきっと蒼くなって帰って来るから見ていろ。』『なぜ?』その席にいた豊吉の友が問・・・ 国木田独歩 「河霧」
・・・「阿波十郎兵衛など見せて我子泣かすも益なからん」源叔父は真顔にていう。「我子とは誰ぞ」老婦は素知らぬ顔にて問いつ、「幸助殿はかしこにて溺れしと聞きしに」振り向いて妙見の山影黒きあたりを指しぬ、人々皆かなたを見たり。「我子とは・・・ 国木田独歩 「源おじ」
出典:青空文庫