・・・ お露を妻に持って島の者にならっせ、お前さん一人、遊んでいても島の者が一生養なって上げまさ、と六兵衛が言ってくれた時、嬉しいやら情けないやらで泣きたかった。 そして見ると、自分の周囲には何処かに悲惨の影が取巻ていて、人の憐愍を自然に・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・何兵衛が貧乏で、何三郎が分限者だ。徳右衛門には、田を何町歩持っている。それは何かにつれて、すぐ、村の者の話題に上ることだ。人は、不動産をより多く持っている人間を羨んだ。 それが、寒天のような、柔かい少年の心を傷つけずにいないのは、勿論だ・・・ 黒島伝治 「浮動する地価」
・・・「ムム、それで六兵衛一家の基を成したというが、あるいはマアお話じゃ無いかネ。」「ところが御前で敲き毀すようなものを作ってはなりませぬ、是非とも気の済むようなものを作ってご覧をいただかねばなりませぬ。それが果して成るか成らぬか。そこに・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・さればまことに弥次郎兵衛の一本立の旅行にて、二本の足をうごかし、三本たらぬ智恵の毛を見聞を広くなすことの功徳にて補わむとする、ふざけたことなり。 十二日午前、田中某に一宴を餞せらるるまま、うごきもえせず飲み耽り、ひるいい終わりてたちいで・・・ 幸田露伴 「突貫紀行」
・・・『夢想兵衛胡蝶物語』などは、その主人公こそは当時の人ですが、これはまたその描いてある世界がすべて非現実世界ですから、やはり直接には当時の実社会と交渉がきれて居りますのです。 それで馬琴のその「過去と名のついたレース」を通して読者に種々の・・・ 幸田露伴 「馬琴の小説とその当時の実社会」
・・・の場合に小説家が紅葉の恩沢に浴するそれ幾ばく、着たる糸織りの襟を内々直したる初心さ小春俊雄は語呂が悪い蜆川の御厄介にはならぬことだと同伴の男が頓着なく混ぜ返すほどなお逡巡みしたるがたれか知らん異日の治兵衛はこの俊雄今宵が色酒の浸初め鳳雛麟児・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
叔母が五所川原にいるので、小さい頃よく五所川原へ遊びに行きました。旭座の舞台開きも見に行きました。小学校の三、四年生の頃だったと思います。たしか友右衛門だった筈です。梅の由兵衛に泣かされました。廻舞台を、その時、生れてはじ・・・ 太宰治 「五所川原」
・・・ 草田惣兵衛氏の夫人、草田静子。このひとが突然、あたしは天才だ、と言って家出したというのだから、驚いた。草田氏の家と僕の生家とは、別に血のつながりは無いのだが、それでも先々代あたりからお互いに親しく交際している。交際している、などと言う・・・ 太宰治 「水仙」
・・・屋久島の恋泊村の藤兵衛という人が、松下というところで炭を焼くための木を伐っていると、うしろの方で人の声がした。ふりむくと、刀をさしたさむらいが、夏木立の青い日影を浴びて立っていた。シロオテである。髪を剃ってさかやきをこしらえていた。あの浅黄・・・ 太宰治 「地球図」
・・・の大法螺でも、夢想兵衛の「夢物語」でも、ウェルズの未来記の種類でも、みんなそういうものである。あらゆるおとぎ話がそうである。あらゆる新聞講談から茶番狂言からアリストファーネスのコメディーに至るまでがそうである。笑わせ怒らせ泣かせうるのはただ・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」
出典:青空文庫