・・・何の事はない、緑雨の風、人品、音声、表情など一切がメスのように鋭どいキビキビした緑雨の警句そのままの具象化であった。 私が緑雨を知ったのは明治二十三年の夏、或る温泉地に遊んでいた時、突然緑雨から手紙を請取ったのが初めてであった。尤もその・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・馬琴の人生観や宇宙観の批評は別問題として、『八犬伝』は馬琴の哲学諸相を綜合具象した馬琴宗の根本経典である。 三 『八犬伝』総括評 だが、有体に平たくいうと、初めから二十八年と予定して稿を起したのではない。読者の限・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・文芸はこの生の具象的な事実をその肉づけと香気のままに表現するものだからだ。少なくともそこにはかわいた、煩鎖な概念的理窟や、腐儒的御用的講話や、すべて生の緑野から遊離した死骸のようなものはない。しかし文芸はその約束として個々の体験と事象との具・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・かりの早春死んだ女児の、みめ麗わしく心もやさしく、釣糸噛み切って逃げたなまずは呑舟 これでもか、これでもか、と豚に真珠の慈雨あたえる等の事は、右の頬ならば、左の頬をも、というかの神の子の言葉の具象化でない。人の子の愛慾独占の汚い地獄・・・ 太宰治 「創生記」
・・・実際プドーフキンでもエイゼンシュテインでも、ボラージュでもそれらの人々のモンタージュに関する論述を読むに当たって、その記述の表面に現われた具象的なものを適当にムタティス・ムタンディスに置き換えさえすればそれはほとんど完全に他の芸術の分野に適・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・しかし詩人の中にもいろいろの種類があって、抽象的精神的な要素の多い詩を作る人がある一方ではまた具象的官能的な要素に富んだ詩に長じた人もあるようである。自分の見るところでは、俳人芭蕉などはどちらかと言えば後者に属するのではないかという気がする・・・ 寺田寅彦 「詩と官能」
・・・それは花や月その他いっさいの具象世界のあまりに取り止めどころのないたよりなさである。どこをつかまえるようもない泡沫の海におぼれんとする時に私の手に触れるものが理学の論理的系統である。絶対的安住の世界が得られないまでも、せめて相対的の確かさを・・・ 寺田寅彦 「相対性原理側面観」
・・・は最も具象的な眼前の事実としてその惨状を暴露しているのである。 一家のうちでも、どうかすると、直接の因果関係の考えられないようないろいろな不幸が頻発することがある。すると人はきっと何かしら神秘的な因果応報の作用を想像して祈祷や厄払いの他・・・ 寺田寅彦 「天災と国防」
・・・あるいはまたいわゆる現代思想と称せらるる漠然としたもののなんらかの具象的発現であるかもしれない。これについては軽卒な批判を避けなければならない。 しかしここで私の考えてみたいと思う事は、そういう大多数の行為の是非の問題ではなくて、そうい・・・ 寺田寅彦 「電車の混雑について」
・・・私のいわゆる全機的世界の諸断面の具象性を決定するに必要な座標としての時の指定と同時にまた空間の標示として役立つものがこのいわゆる季題であると思われる。もちろん短歌の中には無季題のものも決して少なくはないのであるが、一首一首として見ないで、一・・・ 寺田寅彦 「日本人の自然観」
出典:青空文庫