・・・成程彼等には尊徳のように下男をも兼ねる少年は都合の好い息子に違いない。のみならず後年声誉を博し、大いに父母の名を顕わしたりするのは好都合の上にも好都合である。しかし十五歳に足らぬわたしは尊徳の意気に感激すると同時に、尊徳ほど貧家に生まれなか・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・鼻蔵の、鼻蔵人の、大鼻の蔵人得業の恵印法師に尋ねましても、恐らくこの返答ばかりは致し兼ねるのに相違ございますまい…………」 三 宇治大納言隆国「なるほどこれは面妖な話じゃ。昔はあの猿沢池にも、竜が棲んで居ったと・・・ 芥川竜之介 「竜」
・・・――紳士淑女の方々に高い声では申兼ねるが、猪はこのあたりの方言で、……お察しに任せたい。 唄で覚えた。薬師山から湯宿を見れば、ししが髪結て身をやつす。 いや……と言ったばかりで、外に見当は付かない。……私はその時は前夜着・・・ 泉鏡花 「小春の狐」
・・・ それは、――そこは――自分の口から申兼ねる次第でありますけれども、私の大恩人――いえいえ恩人で、そして、夢にも忘れられない美しい人の侘住居なのであります。 侘住居と申します――以前は、北国においても、旅館の設備においては、第一と世・・・ 泉鏡花 「雪霊記事」
・・・……天麸羅のあとで、ヒレの大切れのすき焼は、なかなか、幕下でも、前頭でも、番附か逸話に名の出るほどの人物でなくてはあしらい兼ねる。素通りをすることになった。遺憾さに、内は広し、座敷は多し、程は遠い……「お誓さん。」 黒塀を――惚れた・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
一 はじめ、目に着いたのは――ちと申兼ねるが、――とにかく、緋縮緬であった。その燃立つようなのに、朱で処々ぼかしの入った長襦袢で。女は裙を端折っていたのではない。褄を高々と掲げて、膝で挟んだあたりから、・・・ 泉鏡花 「売色鴨南蛮」
・・・ちょうど三時の菓子でも出す時が来ると、一人で二役を兼ねる俳優のように、私は母のほうに早がわりして、茶の間の火鉢のそばへ盆を並べた。次郎の好きな水菓子なぞを載せて出した。「さあ、次郎ちゃんもおあがり。」 すると、次郎はしぶしぶそれを食・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・結婚、という言葉さえ、私には、ずいぶんキザで、浮わついて、とても平気で口に言い出し兼ねるほど、私どもの場合は、弱く貧しく、てれくさいものでございました。だいいち、私は、もう二十八でございますもの。こんな、おたふくゆえ、縁遠くて、それに二十四・・・ 太宰治 「皮膚と心」
・・・観客は亮の兄弟と自分らを合わせて四五人ぐらいはあったが、映画技師、説明者が同時に映画製造者を兼ねるのみならず、肝心のガラス板がやっと二枚ぐらいしか掛け替えがないのだから亮の骨折りは一通りでなかったろうと思われる。後には自分の父に頼んでもう少・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・充分には聞きとり兼ねる歌詞はどうであっても、歌う人の巧拙はどうであってもそんな事にかまわず私の胸の中には美しい「子供の世界」の幻像が描かれた。聞いているうちになんという事なしに、ひとりで涙が出て来た。長い間自分の目の奥に固く凍りついていたも・・・ 寺田寅彦 「蓄音機」
出典:青空文庫