・・・と技師が寄凭って、片手の無いのに慄然としたらしいその途端に、吹矢筒を密と置いて、ただそれだけ使う、右の手を、すっと内懐へ入れると、繻子の帯がきりりと動いた。そのまま、茄子の挫げたような、褪せたが、紫色の小さな懐炉を取って、黙って衝と技師の胸・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・ 家を出て二三町歩いてから持って出た脚絆を締め、団飯の風呂敷包みをおのが手作りの穿替えの草鞋と共に頸にかけて背負い、腰の周囲を軽くして、一ト筋の手拭は頬かぶり、一ト筋の手拭は左の手首に縛しつけ、内懐にはお浪にかつてもらった木綿財布に、い・・・ 幸田露伴 「雁坂越」
・・・ルーファスが人でなしと云うだろう。内懐からクララのくれた一束ねの髪の毛を出して見る。長い薄色の毛が、麻を砧で打って柔かにした様にゆるくうねってウィリアムの手から下がる。ウィリアムは髪を見詰めていた視線を茫然とわきへそらす。それが器械的に壁の・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・ 隅々の糸がほつれている色も分らない古巾着を内懐から出して、鍵を入れると、「一銭や二銭のお金じゃあなし、遣ろうと云えば、一生恩に被る人が、ウザウザいうほどあります。ただ湧いて来るお金じゃあなしね」とつぶやきながら、うなだれている・・・ 宮本百合子 「禰宜様宮田」
出典:青空文庫