・・・…… この目覚しいのを見て、話の主人公となったのは、大学病院の内科に勤むる、学問と、手腕を世に知らるる、最近留学して帰朝した秦宗吉氏である。 辺幅を修めない、質素な人の、住居が芝の高輪にあるので、毎日病院へ通うのに、この院線を使って・・・ 泉鏡花 「売色鴨南蛮」
・・・私は五月に世田谷区経堂の内科の病院に移された。ここに二カ月いた。七月一日、病院の組織がかわり職員も全部交代するとかで、患者もみんな追い出されるような始末であった。私は兄貴と、それから兄貴の知人である北芳四郎という洋服屋と二人で相談してきめて・・・ 太宰治 「川端康成へ」
・・・けれども私は伝染病患者として、世田谷区・経堂の内科病院に移された。Hは、絶えず私の傍に附いていた。ベエゼしてもならぬと、お医者に言われました、と笑って私に教えた。その病院の院長は、長兄の友人であった。私は特別に大事にされた。広い病室を二つ借・・・ 太宰治 「東京八景」
・・・ きのう来ていただいたお医者さんは、弘前の鳴海内科の院長さんよ。それでね、お父さんがきょう、鳴海先生のとこへお薬をもらいに行ったの。 睦子がいないと、淋しい。 静かでかえっていいじゃないの。でも、子供ってずいぶん現金なものねえ。おば・・・ 太宰治 「冬の花火」
・・・三浦内科に空室があるので午後三時頃入院するというので志んは準備に帰宅した。まちが代りに来て枕元に控えていた。 柔らかい毛布にくるまって上には志んの持って来た着物をかけられ、脚部には湯婆が温かくていい気持になってほとんど何も考えないでウト・・・ 寺田寅彦 「病中記」
・・・ 看護婦という立場は、病気という人間の苦しみを通じて、ほんとうに、いろいろの人の生活にふれ、その運命を目撃します。内科の家庭医となって、一つの家庭に接触すると、病気そのものよりも、むしろ、病気をしている主人なり妻なり老人なりに対するその・・・ 宮本百合子 「生きるための協力者」
・・・手術はせず、内科的になおしますが、いろいろ面倒くさい。流動物ばかりです。私の位でも苦しいことは相当であったから、あなたはさぞお辛かったでしょう。歩くなどということは実に苦しい。どうかお大切に。私の方はいろいろ揃っているのですから。きょう板上・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・――否と答えたが、この入沢内科ではきくことのないであろう単純な質問は自分に強烈な印象をのこした。 社会と病との相互関係の密接さが自分を圧した。 一月三十日 二十六日間臥て居る。病院へ入ってから三週間と一日になった。 餌は・・・ 宮本百合子 「一九二九年一月――二月」
・・・午後四時まで第一大学附属内科の婦人部で働いた。夜はラブ・ファクへ通ってダルトンプランの教育を受けた。一間に一間半もある大ペチカのある病院の台所の隅で ターニャは代数の方程式を書くのだ。――お湯ぬるくありませんか――丁度いい 一寸・・・ 宮本百合子 「無題(七)」
・・・ 翁の医学は Hufeland の内科を主としたもので、その頃もう古くなって用立たないことが多かった。そこで翁は新しい翻訳書を幾らか見るようにしていた。素とフウフェランドは蘭訳の書を先輩の日本訳の書に引き較べて見たのであるが、新しい蘭書・・・ 森鴎外 「カズイスチカ」
出典:青空文庫