・・・いつもは毎日一日役所の殺風景な薄暗い部屋にのみ籠っているし、日曜と云っても余計な調べ物や内職の飜訳などに追われて、こんな事を考えた事も少ないが、病んで寝てみると、急に戸外のうららかな光が恋しくて胸をくすぐられるようである。早くなおりたい。な・・・ 寺田寅彦 「枯菊の影」
・・・半分は楽しみであったろうが半分は内職にしているらしいという事であった。なんでも草花の種や球根を採ってはY港のある商館へ売り込みに行くらしかった。その西洋人が去年シャンハイへ転じて行く時に、姉の貸し家の畑へ置きみやげにいろいろなものを残して行・・・ 寺田寅彦 「球根」
・・・もとは貧乏士族が内職に焼いたとさえ伝聞している。津田君が三十匁の出殻を浪々この安茶碗についでくれた時余は何となく厭な心持がして飲む気がしなくなった。茶碗の底を見ると狩野法眼元信流の馬が勢よく跳ねている。安いに似合わず活溌な馬だと感心はしたが・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・非役の輩は固より智力もなく、かつ生計の内職に役せられて、衣食以上のことに心を関するを得ずして日一日を送りしことなるが、二、三十年以来、下士の内職なるもの漸く繁盛を致し、最前はただ杉檜の指物膳箱などを製し、元結の紙糸を捻る等に過ぎざりしもの、・・・ 福沢諭吉 「旧藩情」
・・・経済事情が悪化している今日、学生のアルバイト、主婦の内職、また内職的な意味でのかけもち職業の問題が増えてきて、女性の重荷はましています。 積極的な意志で結婚した人々もこういう問題については、苦しい経験をしているわけです。根本は家事が個別・・・ 宮本百合子 「新しい抵抗について」
・・・ 日本でも女の人ならお針だけは出来るからと、お針の内職を思いつくことは決して少くない。「和服仕立て致します」「裁縫致します」と細長く切った紙に書いた広告はその家の前に大きく堂々と掲げられていることは殆どない。小さい紙に女のいくらかたどた・・・ 宮本百合子 「衣服と婦人の生活」
・・・ 内職もひどいもので繩一まる三十六銭。しかもこれは馴れた腕の大の男が朝六時半ごろから夜八時までかかっての仕事だし、米を一升食わねば、これだけの精は出せぬ。ひき合うものでない。炭運びにしろ、女は三俵つんで日に二度、一里ぐらいを往復して一俵・・・ 宮本百合子 「今にわれらも」
・・・ かなり困った生活をして居るのに、士族の女房が賃仕事なんかする奴があるかと云って栄蔵は、絶対に内職と云うものをさせないので、留守の間にと、近所の者達のところから一二枚ずつ、「一人で居るので、あんまり所在ないから。と云って・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・たとえば、カニ網梳きという内職は、漁村からはなれた土地の女たちの稼ぎとなっているけれども、浜の漁師のおかみさんたちがそれをしているのは少くとも見たことがない。鰯の加工の仕事などは女が働いているが、そういう加工の仕事のないところの漁家の婦人は・・・ 宮本百合子 「漁村の婦人の生活」
・・・ 東京からスキーヤーが来るとき、土地の農民は山案内をしたり、千本で一円の箸を内職したりします。竹カゴもあむ。 十月十四日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 長野県上林温泉より〕 十月十四日の夜。あした一寸東京へかえるために栄さんと・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
出典:青空文庫