・・・ 烏帽子山麓に寄った方から通って来る泉が、田中で汽車に乗るか、又は途次写生をしながら小諸まで歩くかして、一週に一二度ずつ塾へ顔を出す日は、まだそれでも高瀬を相手に話し込んで行く。この画家は欧羅巴を漫遊して帰ると間もなく眺望の好い故郷・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・ 午後の図画の時間には、皆、校庭に出て、写生のお稽古。伊藤先生は、どうして私を、いつも無意味に困らせるのだろう。きょうも私に、先生ご自身の絵のモデルになるよう言いつけた。私のけさ持参した古い雨傘が、クラスの大歓迎を受けて、皆さん騒ぎたて・・・ 太宰治 「女生徒」
・・・ さちよが、四年生の秋、父はさちよのコスモスの写生に、めずらしく「優」をくれた。さちよは、不思議であった。木炭紙を裏返してみると、父の字で、女はやさしくあれ、人間は弱いものをいじめてはいけません、と小さく隅に書かれていた。はっ、と思った・・・ 太宰治 「火の鳥」
・・・例の用水に添った描写は、この時に写生したものである。それから萩原君を、町の通りの郵便局に訪ねた。ちょうど、執務中なので、君の家の泉州という料理屋に行って待っていた。萩原君はそこの二男か三男で、今はH町の郵便局長をしているが、情深い、義理に固・・・ 田山花袋 「『田舎教師』について」
・・・ことしの夏、どこかの画学生が来てあれを写生していた。モネーの有名なシリーズがなかったら、ああいう構図は、洋画としてはオリジナルかもしれないが、今では別に珍しくはなさそうである。もっとも対象はいくら古くても、目と腕とが新しければ、いくらでも新・・・ 寺田寅彦 「池」
・・・ しからば植物学者の描いた草木の写生図や、地理学者の描いた風景のスケッチは芸術品と言われうるかというに、それはもちろん違ったものである。なぜとならば事実の表現は必ずしも芸術ではない。絵を描く人の表わそうとする対象が違うからである。科学者・・・ 寺田寅彦 「科学者と芸術家」
・・・全くそのころの自分にとっては科学の研究は一つの創作の仕事であったと同時に、どんなつまらぬ小品文や写生文でも、それを書く事は観察分析発見という点で科学とよく似た研究的思索の一つの道であるように思われるのであった。 その後三十年に近い生涯の・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」
・・・ポオル・ド・コックは何も郊外の風景その物を写生する目的ではないが、今から五、六十年前 Louis-Philippe 王政時代の巴里の市民が狭苦しい都会の城壁を越えて郊外の森陰を散歩し青草の上で食事をする態をば滑稽なる誇張の筆致を以てその小説・・・ 永井荷風 「夏の町」
・・・オチエエが凡そ美しき宇宙の現象にして文辞を以ていい現わせないものはないといったように、詞藻の豊富に対して驚くべき自信を持っていたなら、自分は余す処なく霊廟の柱や扉の彫刻と天井や襖の絵画の一ツ一ツを茲に写生し、そしてまた七代と六代将軍と互に相・・・ 永井荷風 「霊廟」
・・・あるものは平淡なる写生文に事件の発展がないのを見て文学でないと云う。しかして評家が従来の読書及び先輩の薫陶、もしくは自己の狭隘なる経験より出でたる一縷の細長き趣味中に含まるるもののみを見て真の文学だ、真の文学だと云う。余はこれを不快に思う。・・・ 夏目漱石 「作物の批評」
出典:青空文庫