・・・この日は風のない暖かなひよりで、樺林の間からは、菫色の光を帯びた野州の山々の姿が何か来るのを待っているように、冷え冷えする高原の大気を透してなごりなく望まれた。 いつだったかこんな話をきいたことがある。雪国の野には冬の夜なぞによくものの・・・ 芥川竜之介 「日光小品」
・・・そして煙草を吸うと、冷え冷えとした空気が煙といっしょに、口のなかにはいって行った。それがなぜともなしに物悲しかった。 織田作之助 「秋の暈」
・・・が真白にガバ/\に凍えている、夜中に静かになると、突然ビリン、ビリンともののわれる音がする、家をすっかり閉め切って、ストーヴをドシ/\燃しても、暑いのはストーヴに向いている身体の前の方だけで、後半方は冷え冷えとするのだ。窓硝子は部厚に花模様・・・ 小林多喜二 「母たち」
・・・玄関からまっすぐに長い廊下が通じていて、廊下の板は、お寺の床板みたいに黒く冷え冷えと光って、その廊下の尽きるところ、トンネルの向う側のように青いスポット・ライトを受けて、ぱっと庭園のその大滝が望見される。葉桜のころで、光り輝く青葉の陰で、ど・・・ 太宰治 「デカダン抗議」
・・・ すなわち、「東京駅の屋根のなくなった歩廊に立っていると、風はなかったが、冷え冷えとし、着て来た一重外套で丁度よかった。」馬鹿らしい。冷え冷えとし、だからふるえているのかと思うと、着て来た一重外套で丁度よかった、これはどういうことだろう・・・ 太宰治 「如是我聞」
・・・ 道太は裏の家に大散財があったので、昨夜は夜中に寝床を下へもってきてもらって、姉妹たちの隣りの部屋に蚊帳を釣っていた。冷え冷えした風が流れていた。お絹はお芳に手伝わせて、しまってあった障子を持ちだしたりした。「しかし姉さんはお芳さん・・・ 徳田秋声 「挿話」
出典:青空文庫