・・・あなたの涙などは凄いものですよ。 小野の小町 嘘です。嘘です。あなたはわたしの涙などに動かされたことはありません。 使 第二にあなたがたは肌身さえ任せば、どんなことでも出来ないことはない。あなたはその手を使ったのです。 玉造の小・・・ 芥川竜之介 「二人小町」
・・・顔も美しいと云うよりは、むしろ凄いようなけはいを帯びて、こればかりは変らない、鮮な唇を震わせながら、「それがみんな裏を掻かれて、――もう何も彼も駄目でございますわ。」と、細く透る声で答えました。それからお敏が、この雷雨の蓆屋根の下で、残念そ・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
・・・ 不気味に凄い、魔の小路だというのに、婦が一人で、湯帰りの捷径を怪んでは不可い。……実はこの小母さんだから通ったのである。 つい、の字なりに畝った小路の、大川へ出口の小さな二階家に、独身で住って、門に周易の看板を出している、小母さん・・・ 泉鏡花 「絵本の春」
・・・ 引込まれては大変だと、早足に歩行き出すと、何だかうしろから追い駈けるようだから、一心に遁げ出してさ、坂の上で振返ると、凄いような月で。 ああ、春の末でした。 あとについて来たものは、自分の影法師ばかりなんです。 自分の影を・・・ 泉鏡花 「女客」
・・・皮膚の色が女のように白く、凄いほどの美貌のその顔に見覚えがある。穴を当てる名人なのか、寺田は朝から三度もその窓口で顔を合せていたのだ。大穴の時は配当を取りに来る人もまばらで、すぐ顔見知りになる。やあ、よく取りますね、この次は何ですかと、寺田・・・ 織田作之助 「競馬」
・・・真っ暗になった気持の中で、たった一筋、「あッ、凄いデマを飛ばしたな」 という想いが私を救った。「――今日は四月馬鹿じゃないか」 そうだ、四月馬鹿だ、こりゃ武田さんの一生一代の大デマだと呟きながら、私はポタポタと涙を流した。・・・ 織田作之助 「四月馬鹿」
・・・と近藤は叫んだ、そして煖炉を後に椅子へ馬乗になった。凄い光を帯びた眼で坐中を見廻しながら「僕は馬鈴薯党でもない、牛肉党でもない! 上村君なんかは最初、馬鈴薯党で後に牛肉党に変節したのだ、即ち薄志弱行だ、要するに諸君は詩人だ、詩人の堕落し・・・ 国木田独歩 「牛肉と馬鈴薯」
・・・ この夜自分は学校の用で神田までゆき九時頃帰宅って見ると、妻が助を背負ったまま火鉢の前に坐って蒼い顔というよりか凄い顔をしている。そして自分が帰宅っても挨拶も為ない。眼の辺には泣きただらした痕の残っているのが明々地と解る。 この様子・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・それは全く凄いものだった。衛兵は総がかりで狼と戦わねばならなかった。悪くすると、腋の下や、のどに喰いつかれるのだ。 薄ら曇りの日がつづいた。昼は短く、夜は長かった。太陽は、一度もにこにこした顔を見せなかった。松木は、これで二度目の冬を西・・・ 黒島伝治 「渦巻ける烏の群」
・・・ その時、奥の方で、ハッパが連続的に爆発する物凄い音響が轟いた。砕かれた岩が、ついそこらへまで飛んで来るけはいがした。押し出される空気が、サッと速力のある風になって流れ出た。つゞいて、煙硝くさい、煙のたまが、渦を捲いて濛々と湧き出て来た・・・ 黒島伝治 「土鼠と落盤」
出典:青空文庫