・・・昼頃近くになっても霜柱の消えないような玄関の前に立って呼鈴を鳴らしてもなかなかすぐには反応がなくて立往生をしていると、凜冽たる朔風は門内の凍てた鋪石の面を吹いて安物の外套を穿つのである。やっと通されると応接間というのがまた大概きまって家中で・・・ 寺田寅彦 「新年雑俎」
・・・凍結した霜夜の街を駆け行く人力車の車輪の音――またゴム輪のはまっていなかった車輪が凍てた夜の土と砂利を噛む音は昭和の今日ではもうめったに聞くことの出来ないものになってしまった。 だんだん近付いて来る車の音が宿の前で止まるかと思っていると・・・ 寺田寅彦 「追憶の冬夜」
・・・なるほど、落ち葉に交じって無数のどんぐりが、凍てた崖下の土にころがっている。妻はそこへしゃがんで熱心に拾いはじめる。見るまに左の手のひらにいっぱいになる。余も一つ二つ拾って向こうの便所の屋根へ投げると、カラカラところがって向こう側へ落ちる。・・・ 寺田寅彦 「どんぐり」
・・・と云ったのですけれ共彼女は変に上気せた様な顔をして小窓から雪の散って居る外を暫く見てやがて顔を洗いに小春の様な室内から総てが凍て付いた様な洗面所へ出て行きました。 正面の大鏡に写った顔を見て彼女は自分で自分をすっかり診察して仕舞・・・ 宮本百合子 「二月七日」
月の冴えた十一月の或る夜である。 二羽の鴨が、田の畔をたどりたどり餌を漁って居る。 収獲を終った水田の広い面には、茶筅の様な稲の切り株がゾクゾク並んで、乾き切って凍て付いた所々には、深い亀裂破れが出来て居る。 ・・・ 宮本百合子 「一条の繩」
出典:青空文庫