・・・霜解け、夕凍み、その匂いには憶えがあった。 ひと月ふた月経った。日光と散歩に恵まれた彼の生活は、いつの間にか怪しい不協和に陥っていた。遠くの父母や兄弟の顔が、これまでになく忌わしい陰を帯びて、彼の心を紊した。電報配達夫が恐ろしかった。・・・ 梶井基次郎 「過古」
・・・ 肉を炙る香ばしい匂いが夕凍みの匂いに混じって来た。一日の仕事を終えたらしい大工のような人が、息を吐く微かな音をさせながら、堯にすれちがってすたすたと坂を登って行った。「俺の部屋はあすこだ」 堯はそう思いながら自分の部屋に目を注・・・ 梶井基次郎 「冬の日」
・・・部屋部屋の柱が凍み割れる音を聞きながら高瀬が読書でもする晩には、寒さが彼の骨までも滲み徹った。お島はその側で、肌にあてて、子供を暖めた。 この長い長い寒い季節を縮こまって、あだかも土の中同様に住み暮すということは、一冬でも容易でなかった・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・長い寒い夜なぞは凍み裂ける部屋の柱の音を聞きながら、唯もう穴に隠れる虫のようにちいさくなって居た。 この「冬」が私には先入主になってしまった。私はあの山の上で七度も「冬」を迎えた。私の眼に映る「冬」は唯灰色のものだった。巴里の方で逢った・・・ 島崎藤村 「三人の訪問者」
・・・一度降ったら春まで溶けずにある雪の積もりに積もった庭に向いた部屋で、寒さのために凍み裂ける恐ろしげな家の柱の音なぞを聞きながら、夜おそくまでひとりで机にむかっていた時の心持ちは忘れられない。でも、私はあの山の上から東京へ出て来て見るたびに、・・・ 島崎藤村 「分配」
・・・「母、昨夜、土ぁ、凍みだじゃぃ。」嘉ッコはしめった黒い地面を、ばたばた踏みながら云いました。「うん、霜ぁ降ったのさ。今日は畑ぁ、土ぁぐじゃぐじゃづがべもや。」と嘉ッコのお母さんは、半分ひとりごとのように答えました。 嘉ッコのおば・・・ 宮沢賢治 「十月の末」
・・・「堅雪かんこ、しみ雪しんこ。」 お日様がまっ白に燃えて百合の匂を撒きちらし又雪をぎらぎら照らしました。 木なんかみんなザラメを掛けたように霜でぴかぴかしています。「堅雪かんこ、凍み雪しんこ。」 四郎とかん子とは小さな雪沓・・・ 宮沢賢治 「雪渡り」
出典:青空文庫