・・・山の窪みなどには畑が作ってあってそのほかは草ばかりでただところどころに松が一本二本突ッたっている。僕はこんなところに鹿がいるだろうかと思った。 大空の色と残月の光とで今日の天気がわかる。風の清いこと寒いこと、月の光の遠いこと空の色の高い・・・ 国木田独歩 「鹿狩り」
・・・眼いたく凹み、その光は濁りて鈍し。 頭髪も髯も胡麻白にて塵にまみれ、鼻の先のみ赤く、頬は土色せり。哀れいずくの誰ぞや、指してゆくさきはいずくぞ、行衛定めぬ旅なるかも。 げに寒き夜かな。独りごちし時、総身を心ありげに震いぬ。かくて温ま・・・ 国木田独歩 「たき火」
・・・私もその足のあとだという岩の窪みを見た。しかしまだ足が立ったいざりや、眼があいたメクラについては人から話をきくだけで、直接、私自身がそういう人々に会ったことは一度もない。 そういう人があるのならば本当に私は会ってみたいと思っているのだが・・・ 黒島伝治 「海賊と遍路」
・・・ 二人、三人と、掘り出されるに従って、椀のような凹みに誰れか生き残っている希望は失われて行った。張子の人形を立っているまゝ頭からぐしゃりと縦に踏みつけたようなのや、××も、ふくよかな肉体も全く潰されて、たゞもつれた髪でそれと分る女が現れ・・・ 黒島伝治 「土鼠と落盤」
・・・中にいと大なる岩の色丹く見ゆるがあり。中凹みていささか水を湛う。土地の人これを重忠の鬢水と名づけて、旱つづきたる時こを汲み乾せば必ず雨ふるよしにいい伝う。また二つ岩とて大なる岩の川中に横たわれるあり。字滝の上というところにかかれる折しも、真・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
・・・君が生前、腰かけたままにやわらかく窪みを持ったクッションが、いつまでも、私の傍に残るだろう。この人影のない冷い椅子は、永遠に、君の椅子として、空席のままに存続する。神も、また、この空席をふさいで呉れることができないのである。ああ、私の愛情は・・・ 太宰治 「思案の敗北」
ウェルダアの桜 大きな河かと思うような細長い湖水を小蒸気で縦に渡って行った。古い地質時代にヨーロッパの北の半分を蔽っていた氷河が退いて行って、その跡に出来た砂原の窪みに水の溜ったのがこの湖とこれに連なる沢・・・ 寺田寅彦 「異郷」
・・・シャロットを馳せる時何事とは知らず、岩の凹みの秋の水を浴びたる心地して、かりの宿りを求め得たる今に至るまで、頬の蒼きが特更の如くに目に立つ。 エレーンは父の後ろに小さき身を隠して、このアストラットに、如何なる風の誘いてか、かく凛々しき壮・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・に曰くここは馬を乗る所で自転車に乗る所ではないから自転車を稽古するなら往来へ出てやらしゃい、オーライ謹んで命を領すと混淆式の答に博学の程度を見せてすぐさまこれを監督官に申出る、と監督官は降参人の今日の凹み加減充分とや思いけん、もう帰ろうじゃ・・・ 夏目漱石 「自転車日記」
・・・玉を並べた様な鋲の一つを半ば潰して、ゴーゴン・メジューサに似た夜叉の耳のあたりを纏う蛇の頭を叩いて、横に延板の平な地へ微かな細長い凹みが出来ている。ウィリアムにこの創の因縁を聞くと何にも云わぬ。知らぬかと云えば知ると云う。知るかと云えば言い・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
出典:青空文庫