・・・ 風がサアーッと吹くとブルブルッと身ぶるいの出るほど寒い。熱が出ると悪いと思って家へ入る。 それでもまだ寒い。 かんしゃくが起る。 秋風が身にしみる。「ああああ夜になるのかなあ」と思うと急にあたりに気を配る――午後六時。・・・ 宮本百合子 「秋風」
・・・ 皿の後に皿が出て、平らげられて、持ち去られてまた後の皿が来る、黄色な苹果酒の壺が出る。人々は互いに今日の売買の事、もうけの事などを話し合っている。彼らはまた穀類の出来不出来の評判を尋ね合っている。気候が青物には申し分ないが、小麦には少・・・ 著:モーパッサン ギ・ド 訳:国木田独歩 「糸くず」
・・・しかし課長の出るのは八時三十分頃だから、八時までに役所へ行けば好いと思う。 そして頗る愉快げな、晴々とした顔をして、陰気な灰色の空を眺めている。木村を知らないものが見たら、何が面白くてあんな顔をしているかと怪むことだろう。 顔を洗い・・・ 森鴎外 「あそび」
・・・淋しそうに生まれ出る新月の影。くやしそうに吹く野の夕風。 中「山里は冬ぞさみしさまさりける、人目も草もかれぬと思へば」秋の山里とてその通り、宵ながら凄いほどに淋しい。衣服を剥がれたので痩肱に瘤を立てている柿の梢には冷・・・ 山田美妙 「武蔵野」
・・・もしも風流なるものが感覚から生れ出るものか或いは意志からか直感からかと云うならば、それは感覚からでもなく意志からでもなく直感からでもなく、その時代相の持った時代感覚とその時代の生活の感覚化との一致境から生れ出たもので、それ故に悟性と感性との・・・ 横光利一 「新感覚論」
・・・私はこういう人の前に出ると、ひどい腐敗の臭気を感じます。そうして、悲しむべき事を悲しまず、偉大な者にひざまずかず、畢竟人類の努力に対して没交渉であろうとする彼らの態度に、抑え難き憤怒を感じます。しかもこのような人がいかに多いことでしょう。彼・・・ 和辻哲郎 「ある思想家の手紙」
出典:青空文庫