・・・もっとも出入りの洗濯屋ではない。東安市場の側の洗濯屋である。これだけは今後も実行しなければならぬ。猿股やズボン下や靴下にはいつも馬の毛がくっついているから。……「十二月×日 靴下の切れることは非常なものである。実は常子に知られぬように靴・・・ 芥川竜之介 「馬の脚」
・・・ しかし戸沢と云う出入りの医者が、彼等の間に交ったのは、それから間もない後の事だった。黒絽の羽織をひっかけた、多少は酒気もあるらしい彼は、谷村博士と慇懃な初対面の挨拶をすませてから、すじかいに坐った賢造へ、「もう御診断は御伺いになっ・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・知の文面は極簡単なもので、ただ、藤井勝美と云う御用商人の娘と縁談が整ったと云うだけでしたが、その後引続いて受取った手紙によると、彼はある日散歩のついでにふと柳島の萩寺へ寄った所が、そこへ丁度彼の屋敷へ出入りする骨董屋が藤井の父子と一しょに詣・・・ 芥川竜之介 「開化の良人」
・・・ 小さい時には芝居そのほかの諸興行物に出入りすることはほとんどなかったと言っていいくらいで、今の普通の家庭では想像もできないほど頑固であった。男がみだりに笑ったり、口を利くものではないということが、父の教えた処世道徳の一つだった。もっと・・・ 有島武郎 「私の父と母」
・・・「あなたがいい、おばけだから、出入りは自由だわ。」 するすると早や絹地を、たちまち、水晶の五輪塔を、月影の梨の花が包んだような、扉に白く絵の姿を半ば映した。「そりゃ、いけなかろう、お妻さん。」 鴾の作品の扱い方をとがめたので・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・ この高崎では、大分旅客の出入りがあった。 そこここ、疎に透いていた席が、ぎっしりになって――二等室の事で、云うまでもなく荷物が小児よりは厄介に、中には大人ほど幅をしてあちこちに挟って。勿論、知合になったあとでは失礼ながら、件の大革・・・ 泉鏡花 「革鞄の怪」
・・・ 港の方では、出入りする船の笛の音が、鈍く聞こえていました。明るい、あめ色の空に、黒い煙の跡がわずかに漂っている。それは、これから、青い、青い波を分けて、遠く出てゆく船があるのでありました。 その日も、二人のまわりには、いつものごと・・・ 小川未明 「港に着いた黒んぼ」
・・・元は佃島の者で、ここへ引っ越して来てからまだ二年ばかりにもならぬのであるが、近ごろメッキリ得意も附いて、近辺の大店向きやお屋敷方へも手広く出入りをするので、町内の同業者からはとんだ商売敵にされて、何のあいつが吉新なものか、煮ても焼いても食え・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・井戸水を貰っていた百姓家の人に訊いても、秋山さんが出入りしていた屑屋に訊いても判らない。 空には軽気球がうかんでいて、百貨店の大売出しの広告文字がぶらさがっていた。とぼとぼ河堀口へ帰って行く道、紙芝居屋が、自転車の前に子供を集めているの・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・辻占売りの出入りは許さなかったが、ポン引が出入り出来るのはこの店だけだった。そのくせ帝塚山の本宅にいる細君は女専中退のクリスチャンだった。細君は店へ顔出しするようなことは一度もなく、主人が儲けて持って帰る金を教会や慈善団体に寄附するのを唯一・・・ 織田作之助 「世相」
出典:青空文庫