・・・驚いたは新蔵ばかりでなく、このお敏に目をかけていた新蔵の母親も心配して、請人を始め伝手から伝手へ、手を廻して探しましたが、どうしても行く方が分りません。やれ、看護婦になっているのを見たの、やれ、妾になったと云う噂があるの、と、取沙汰だけはい・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
・・・私の足がどんな所に立っているのだか、寒いのだか、暑いのだか、すこしも私には分りません。手足があるのだかないのだかそれも分りませんでした。 抜手を切って行く若者の頭も段々小さくなりまして、妹との距たりが見る見る近よって行きました。若者の身・・・ 有島武郎 「溺れかけた兄妹」
・・・とは人のよくいうところであるが、それは「いったとてお前に解りそうにないからもういわぬ」という意味でないかぎり、卑劣極まったいい方といわねばならぬ。我々は今まで議論以外もしくは以上の事として取扱われていた「趣味」というものに対して、もっと厳粛・・・ 石川啄木 「弓町より」
・・・ 後で聞いて口惜くって、今でも怨んでいるけれど、内証の苦しい事ったら、ちっとも伯母さんは聞かして下さらないし、あなたの御容子でも分りそうなものだったのに、私が気がつかないからでしょうけれど、いつお目にかかっても、元気よく、いきいきしてね・・・ 泉鏡花 「女客」
・・・昨日政夫さんが来るのは解りきって居るのに、姉さんがいろんなことを云って、一昨日お民さんを市川へ帰したんですよ。待つ人があるだっぺとか逢いたい人が待ちどおかっぺとか、当こすりを云ってお民さんを泣かせたりしてネ、お母さんにも何でもいろいろなこと・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・「どうするか分りゃアしない」「田村先生とは実際関係がないか?」「また、しつッこい!――あったら、どうするよ?」「それじゃア、青木が可哀そうじゃアないか?」「可哀そうでも、可哀そうでなくッても、さ、あなたのお腹はいためませ・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・道学先生とするには世間が解り過ぎていた。ツマリ二葉亭の風格は小説家とも政治家とも君子とも豪傑とも実際家とも道学先生とも何とも定められなかった。 社交的応酬は余り上手でなかったが、慇懃謙遜な言葉に誠意が滔れて人を心服さした。弁舌は下手でも・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・「わたくしはあの陰気な中庭に入り込んで、生れてから初めて、拳銃というものを打って見ました時、自分が死ぬる覚悟で致しまして、それと同時に自分の狙っている的は、即ち自分の心の臓だという事が分かりました。それから一発一発と打つたびに、わたくし・・・ 著:オイレンベルクヘルベルト 訳:森鴎外 「女の決闘」
・・・ これは、一面に、読者層の中心がこれまで知識階級であり、その批判もまた知識階級によってなされたがためであるが、今日の批判は、多数の無知識階級であり、そのためには、彼等に分り易く書かなければならぬというのであります。 多くの大衆作家が・・・ 小川未明 「作家としての問題」
・・・ お光は済ましたもので、「そうね、自分がなって見ないことにゃ何とも分りませんね」 と、言っているところへ、階子段の下から小僧の声で、「お上さん、お上さん」「あいよ。何だね、騒々しい!」「お上さん!」「あいよったら!」・・・ 小栗風葉 「深川女房」
出典:青空文庫