・・・ 男は分厚い唇にたまった泡を、素早く手の甲で拭きとった。少しよだれが落ちた。「なにが迷信や。迷信や思う方がどだい無智や。ちゃんと実例が証明してるやないか」 そして私の方に向って、「なあ、そうでっしゃろ。違いまっか。どない思い・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・軽部は小柄なわりに顔の造作が大きく、太い眉毛の下にぎょろりと眼が突き出し、分厚い唇の上に鼻がのしかかっていて、まるで文楽人形の赤面みたいだが、彼はそれを雄大な顔と己惚れていた。けれども、顔のことに触れられると、何がなしいい気持はしなかった。・・・ 織田作之助 「雨」
・・・その目で見たせいか、彼女の痩形の、そして右肩下りの、線の崩れたようなからだつきは何かいろっぽく思えたが、しかし、やや分厚い柔かそうな下唇や、その唇の真中にちょっぴり下手に紅をつける化粧の仕方や、胸のふくらみのだらんと下ったところなど、結婚し・・・ 織田作之助 「大阪発見」
・・・農民の、分厚い肩が重なって、話をきいている写真が、のっている。 昨今の日本では、数日うちに、事態がどしどしと推移してゆく。私たちも、それに馴れて来ている。しかし、この板橋での出来ごとや強制買上げ案、警視庁の意見の公表の調子などの間には、・・・ 宮本百合子 「人民戦線への一歩」
・・・を見てもわかるとおり、どっさりの人類の叡智や生命や愛が、その一冊の分厚い本の頁のあけたてによって殺戮されてきたからである。常識の中に、浄きいかりを腐らしたからであると思う。 女のいつわりない女心は、ものわかりよさが腐臭を放っていることを・・・ 宮本百合子 「ものわかりよさ」
出典:青空文庫