・・・ 末広君の大学における講義にも特徴があったそうである。分量を少なく、出来るだけ簡易平明にして、しかも主要な急所を洩れなく、また実に適切な例を使って説明するという行き方であり、また如何なる教科書とも類を異にしたオリジナルなものであったとい・・・ 寺田寅彦 「工学博士末広恭二君」
・・・ 同じようなわけで、大概の災難でも何かの薬にならないというのはまれなのかもしれないが、ただ、薬も分量を誤れば毒になるように、災難も度が過ぎると個人を殺し国を滅ぼすことがあるかもしれないから、あまり無制限に災難歓迎を標榜するのも考えもので・・・ 寺田寅彦 「災難雑考」
・・・のみならず、そこで食わせる料理も、味が軽くて、分量があまり多くなくて、自分の鈍い胃には比較的に工合がいいので、何かの機会にそこで食事をする事も稀ではなかった。 広いこの都会の、数多い洋食店の中でも、自分の注文に合うような家はまことに稀で・・・ 寺田寅彦 「雑記(2[#「2」はローマ数字、1-13-22])」
・・・書物のなかったあるいは少なかった時代の人間のほうがはるかに利口であったような気もするが、これは疑問として保留するとして、書物の珍しかった時代の人間が書物によって得られた幸福の分量なり強度なりが現代のわれわれのそれよりも多大であったことは確か・・・ 寺田寅彦 「読書の今昔」
・・・ われわれが小学校中学校高等学校を経て大学を卒業するまでの永い年月の間に修得したはずの知識は、分量で測ることが出来るとすればずいぶん多量なものであろうと思われる。十七、八年の間かじりつづけ、呑み込みつづけて来た知識のどれだけのプロセント・・・ 寺田寅彦 「鉛をかじる虫」
・・・んものと始終思い、また義務を尽した後は大変心持が好いのであるが、深くその裏面に立ち入って内省して見ると、願くはこの義務の束縛を免かれて早く自由になりたい、人から強いられてやむをえずする仕事はできるだけ分量を圧搾して手軽に済ましたいという根性・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
・・・これでもまだちょっと分らないなら、それをもっと数学的に言い現わしますと、己のためにする仕事の分量は人のためにする仕事の分量と同じであるという方程式が立つのであります。人のためにする分量すなわち己のためにする分量であるから、人のためにする分量・・・ 夏目漱石 「道楽と職業」
・・・脚本と批評はこれに次ぐべき重要の因数に相違ないが、分量からいっても、一般の注意を惹く点からいっても、遂に小説には及ばない。その小説について、斯道に関係ある我々の見逃し能わざる特殊の現象が毎月刊行の雑誌の上に著るしく現れて来た。それは全体の小・・・ 夏目漱石 「文芸委員は何をするか」
・・・強いられるとは常人として無理をせずに自己本来の情愛だけでは堪えられない過重の分量を要求されるという意味であります。独り孝ばかりではない、忠でも貞でもまた同様の観があります。何しろ人間一生のうちで数えるほどしかない僅少の場合に道義の情火がパッ・・・ 夏目漱石 「文芸と道徳」
・・・一体正岡は無暗に手紙をよこした男で、それに対する分量は、こちらからも遣った。今は残っていないが、孰れも愚なものであったに相違ない。 夏目漱石 「正岡子規」
出典:青空文庫