盧生は死ぬのだと思った。目の前が暗くなって、子や孫のすすり泣く声が、だんだん遠い所へ消えてしまう。そうして、眼に見えない分銅が足の先へついてでもいるように、体が下へ下へと沈んで行く――と思うと、急にはっと何かに驚かされて、・・・ 芥川竜之介 「黄粱夢」
・・・が、分銅だけは、調子を違えず、とうんとうんと打つ――時計は止まったのではない。「もう、これ午餉になりまするで、生徒方が湯を呑みに、どやどやと見えますで。湯は沸らせましたが――いや、どの小児衆も性急で、渇かし切ってござって、突然がぶりと喫・・・ 泉鏡花 「朱日記」
・・・腕は鉛の分銅でも吊るしているように重かった。「あゝ、たまらん。早よ軍医殿にそう云って呉れろ!」 着かえたばかりの病衣に血がにじみだした。「辛抱しろ!」通りかゝった看護卒がちょっと眼をくれた。と、その眼が急に怖く光ってきた。そして・・・ 黒島伝治 「氷河」
・・・すすけた黄褐色の千切り形あるいは分銅形をしたものの、両端にぼんやり青みがかった雲のようなものが見える。ニコルを回転すると、それにつれて、この斑点もぐるぐる回る。自分も学生時代にこれに関する記事を読んでさっそく実験してみたが、なかなか見えない・・・ 寺田寅彦 「錯覚数題」
・・・ 例えば早い話が教科書や試験問題には長さ一メートルの物差とか一グラムの分銅とかいう言葉が心配げもなく使ってあるが、実際には決して精密に一メートルとか一グラムとかいう量に出逢う機会は皆無と云ってよい。ただ必要に応じて差しつかえのない程度ま・・・ 寺田寅彦 「物理学実験の教授について」
・・・一匁の分銅を一分間吊した後と、一時間あるいは一昼夜吊しておいた後とは幾分の差がある。またあらかじめ百匁を五分間吊した後十匁をかけたのと、一匁を同じく五分吊した後同じ十匁を懸けたのとでも若干の相違がある。また温度をいったん百度まで上げて十度に・・・ 寺田寅彦 「方則について」
・・・オツベルはもう大急ぎで、四百キロある分銅を靴の上から、穿め込んだ。「うん、なかなかいいね。」象は二あし歩いてみて、さもうれしそうにそう云った。 次の日、ブリキの大きな時計と、やくざな紙の靴とはやぶけ、象は鎖と分銅だけで、大よろこびで・・・ 宮沢賢治 「オツベルと象」
発動機の工合がわるくて、台所へ水が出なくなった。父が、寝室へ入って老人らしい鳥打帽をかぶり、外へ出て行った。暖炉に火が燃え、鳩時計は細長い松ぼっくりのような分銅をきしませつつ時を刻んでいる。露台の硝子越しに見える松の並木、・・・ 宮本百合子 「海浜一日」
・・・ 物も云わず、ゴーリキイは机にのっていた分銅をとって、主人目がけて振り上げた。主人は平ったくなって叫んだ。「な、なにをするんだ――冗談じゃないか!」 冗談に云ったのではない。それは分っている。いやらしい貸本屋と手を切るためにゴー・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの伝記」
・・・「おお、分銅でやっつけるんだ!」 彼らは嬉しそうな悪意で云う。たまらなくなって、ゴーリキイは彼等と論判をはじめた。が、結局自分に学生を護り得るどんな力があるというのであろうか。 ゴーリキイの全心を哀傷がかんだ。夜、カバン河の岸に・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの発展の特質」
出典:青空文庫