・・・何だ、その女に対して、隠元、田螺の分際で、薄汚い。いろも、亭主も、心中も、殺すも、活すもあるものか。――静にここを引揚げて、早く粟津の湯へ入れ――自分にも二つはあるまい、生命の養生をするが可い。」「餓鬼めが、畜生!」「おっと、どっこ・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・とささやいたので思いがけない悪心が起ったので山刀をさし枕槍をひっさげてその坊さんの跡をおっかけて行く、まだ九つ許りの娘の分際でこんな事を親に進めたのは大悪人である。殊更、熊野の奥の山家に住んで居るんだから、干鯛が木になるものだか、からかさは・・・ 著:井原西鶴 訳:宮本百合子 「元禄時代小説第一巻「本朝二十不孝」ぬきほ(言文一致訳)」
・・・ しかし中学生の分際で髪の毛を伸ばすのは、口髭を生やすよりも困難であった。それ故私は高等学校にはいってから伸ばそうという計画を樹て、学校もなるべく頭髪の型に関する自由を許してくれそうな学校を選んだ。倖い私のはいった学校は自由を校風として・・・ 織田作之助 「髪」
・・・大の史学科を出ると母校のA中の歴史の教師になったという男にあり勝ちな、小心な律義者で、病毒に感染することを惧れたのと遊興費が惜しくて、宮川町へも祇園へも行ったことがないというくらいだから、まして教師の分際で競馬遊びなぞ出来るような男ではなか・・・ 織田作之助 「競馬」
・・・「若輩の分際として、過言にならぬよう物を言われい。忠義薄きに似たりと言わぬばかりの批判は聞く耳持たぬ。損得利害明白なと、其の損得沙汰を心すずしい貴殿までが言わるるよナ。身ぶるいの出るまで癪にさわり申す。そも損得を云おうなら、善悪邪正定ま・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
・・・二十歳の少年の分際で、これはあまり諦めがよすぎるかも知れません。……シェストフ的不安とは何であるか、僕は知りません。ジッドは『狭き門』を読んだ切りで、純情な青年の恋物語であり、シンセリティの尊さを感じたくらいで、……とにかく、浅学菲才の僕で・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・へよけようとすると御両君のうちいずれへか衝突の尻をもって行かねばならん、もったいなくも一人は伯爵の若殿様で、一人は吾が恩師である、さような無礼な事は平民たる我々風情のすまじき事である、のみならず捕虜の分際として推参な所作と思わるべし、孝なら・・・ 夏目漱石 「自転車日記」
・・・などという者はないので、この犬は姨捨山へ往て、山に捨てられたのを喰うて生きて居るというような浅ましい境涯であった、しかるに八十八人目の姨を喰うてしもうた時ふと夕方の一番星の光を見て悟る所があって、犬の分際で人間を喰うというのは罪の深い事だと・・・ 正岡子規 「犬」
・・・その方などの分際でない。」「ばかを云え、おれはあした、山主の藤助にちゃんと二升酒を買ってくるんだ」「そんならなぜおれには買わんか。」「買ういわれがない。」「買え。」「いわれがない。」「よせ、よせ、にせものだからにせが・・・ 宮沢賢治 「かしわばやしの夜」
・・・うぬ、畜生の分際として。」 樺の木はやっと気をとり直して云いました。「もうあなたの方のお祭も近づきましたね。」 土神は少し顔色を和げました。「そうじゃ。今日は五月三日、あと六日だ。」 土神はしばらく考えていましたが俄かに・・・ 宮沢賢治 「土神ときつね」
出典:青空文庫