・・・もし社長が大名だったなら叱られるばかりでなく切腹を仰せつかるかも知れないところですけれど、明治四十四年の今日は社長だって黙っている。そうしてあなた方は笑っている。これほど世の中は穏かになって来たのです。倫理観の程度が低くなって来たのです。だ・・・ 夏目漱石 「文芸と道徳」
・・・お納めくださらないと、また私はせがれと二人で切腹をしないとなりません。さ、せがれ。お暇をして。さ。おじぎ。ご免くださいませ」 そしてひばりの親子は二、三遍お辞儀をして、あわてて飛んで行ってしまいました。 ホモイは玉を取りあげて見まし・・・ 宮沢賢治 「貝の火」
・・・興津彌五右衛門が正徳四年に主人である細川三斎公の十三回忌に、船岡山の麓で切腹した。その殉死の理由は、それから三十年も昔、主命によって長崎に渡り、南蛮渡来の伽羅の香木を買いに行ったとき、本木を買うか末木を買うかという口論から、本木説を固守した・・・ 宮本百合子 「鴎外・芥川・菊池の歴史小説」
・・・封建時代に、君主にその非行を直言しようと決心した臣下は、いつも切腹を覚悟しなければならなかった。「直諫の士」が戦場の勇士よりも、ある場合にはより勇気ある武士とされた理由である。 日本の人民は、東條時代を通じて、もっとも非合理野蛮な侵略主・・・ 宮本百合子 「地球はまわる」
・・・それは殿様がお隠れになった当日から一昨日までに殉死した家臣が十余人あって、中にも一昨日は八人一時に切腹し、昨日も一人切腹したので、家中誰一人殉死のことを思わずにいるものはなかったからである。二羽の鷹はどういう手ぬかりで鷹匠衆の手を離れたか、・・・ 森鴎外 「阿部一族」
某儀明日年来の宿望相達し候て、妙解院殿御墓前において首尾よく切腹いたし候事と相成り候。しかれば子孫のため事の顛末書き残しおきたく、京都なる弟又次郎宅において筆を取り候。 某祖父は興津右兵衛景通と申候。永正十一年駿河国興・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書」
某儀今年今月今日切腹して相果候事いかにも唐突の至にて、弥五右衛門奴老耄したるか、乱心したるかと申候者も可有之候えども、決して左様の事には無之候。某致仕候てより以来、当国船岡山の西麓に形ばかりなる草庵を営み罷在候えども、先主・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書(初稿)」
出典:青空文庫