・・・ 話題が少し切迫してきたので、二人は深い触れ合いを避けでもするように、ふと身を起こした。「海岸へ出てみましょうか」桂三郎は言った。「そうだね」私は応えた。 ひろびろとした道路が、そこにも開けていた。「ここはこの間釣りに来・・・ 徳田秋声 「蒼白い月」
・・・その場の切迫した光景と、その時の綿々とした情緒とが、洗練された言語の巧妙なる用法によって、画よりも鮮明に活写されている。どうでも今日は行かんすかの一句と、歌麿が『青楼年中行事』の一画面とを対照するものは、容易にわたくしの解説に左袒するであろ・・・ 永井荷風 「雪の日」
・・・それは、何か知ら追っかけられるような、切迫した感じで彼をつっ突いた。彼は、その本能的な、その上、いつまでも人生の裏道を通らねばならないことから来る、鋭い直感で、大抵一切のことを了解した。今度はどの位だな、と思っていると、大抵刑期はそれより一・・・ 葉山嘉樹 「乳色の靄」
・・・稿は既に幾十年前に成りたるに拘わらず、之を公にするの機会を得ざりしものが、時勢の進歩とや言わん、人心の変化とや言わん、一方に新民法の発布は先生をして恰も有力なる味方を得たるの思いあらしめ、又内地雑居の切迫はいよ/\其蓄蘊を発するの必要を感ぜ・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・学校の試験も切迫して来るのでいよいよ脳が悪くなった。これでは試験も受けられぬというので試験の済まぬ内に余は帰国する事に定めた。菅笠や草鞋を買うて用意を整えて上野の汽車に乗り込んだ。軽井沢に一泊して善光寺に参詣してそれから伏見山まで来て一泊し・・・ 正岡子規 「くだもの」
・・・ 昨今のように、一般の社会状勢が息苦しく切迫し、階級対立が最も陰性な形で激化しているような時期に、鬱屈させられている日常生活のせめてもの明るい窓として、溌剌として、新しい恋愛がどことなし人々の心に翹望されていることは感じられる。しかも、・・・ 宮本百合子 「新しい一夫一婦」
・・・それは現実があまり切迫して、早い速力で遷って行くから、一つの行動の必要が起ったとき、その意味や価値をじっくり自分になっとく出来るまで考えているゆとりがなくて、ともかく眼の前の必要を満たすように動かなければならないということではないだろうか。・・・ 宮本百合子 「あとがき(『幸福について』)」
・・・自分の結婚生活の破綻は益々切迫しているとき、作者が、身辺に取材しないで、現実から翔びはなれて、「古き小画」のような題材をとらえて書いたということには、その当時では自覚されていなかった二つの意味が見出される。一つは、作者の日々の感情に犇めいて・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第二巻)」
・・・その切迫した数日のうちに、苦しい涙が凝りかたまって一粒おちたという風にこの短篇をかいた。そして『新潮』に発表した。「鏡餅」はこんどはじめてこの本に集録された。一九三〇年の暮日本プロレタリア作家同盟に参加し、「小祝の一家」あたりから、進歩的な・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第四巻)」
・・・彼の温容が心を打ったこと、並、人生の切なさ、恐ろしさ、平凡の底に湛えた切迫さ、真剣さを、一時に感じ、涙となったと云ってよい。 翌十日、自分は、動乱した心持のやや鎮まりを感じ、気分を更える為に髪を洗った。 今日は風の強い、始めて蝉の声・・・ 宮本百合子 「有島武郎の死によせて」
出典:青空文庫