・・・ここはもう初秋にはいっています。僕はけさ目を醒ました時、僕の部屋の障子の上に小さいY山や松林の逆さまに映っているのを見つけました。それは勿論戸の節穴からさして来る光のためだったのです。しかし僕は腹ばいになり、一本の巻煙草をふかしながら、この・・・ 芥川竜之介 「手紙」
・・・独り、高く時計台は青く空に突っ立って、初秋の星の光が冷たくガラスにさえかえっていました。 小川未明 「青い時計台」
・・・兄妹は、縁側に出て、音もなくぬか星の光っている、やがて初秋に近づいた夜の空を見ていましたが、「サーカスは、どこへいったでしょうね。」と、みつ子は、いいました。「あちらの、遠い町へいって、また、ああした芸当を、みんなにして見せているの・・・ 小川未明 「銀河の下の町」
・・・ 二 災害の来た一日はちょうど二百十日の前日で、東京では早朝からはげしい風雨を見ましたが、十時ごろになると空も青々とはれて、平和な初秋びよりになったとおもうと、午どきになって、とつぜんぐら/\/\とゆれ出したので・・・ 鈴木三重吉 「大震火災記」
・・・ひるすぎのことであったが、初秋の日ざしはまだ絶壁の頂上に明るく残っていた。学生が、絶壁のなかばに到達したとき、足だまりにしていた頭ほどの石ころがもろくも崩れた。崖から剥ぎ取られたようにすっと落ちた。途中で絶壁の老樹の枝にひっかかった。枝が折・・・ 太宰治 「魚服記」
・・・ 太平洋戦争のかなりすすんだ、あれは初秋の頃であったか、丸山定夫君から、次のような意味のおたよりをいただいた。 ぜひいちど訪問したいが、よろしいだろうか、そうしてその折、私ともう一人のやつを連れて行きたい、そのやつとも逢ってやっては・・・ 太宰治 「酒の追憶」
・・・六年まえの初秋に、百円持って友人三人を誘って湯河原温泉に遊びに行き、そうして私たち四人は、それぞれ殺し合うほどの喧嘩をしたり、泣いたり、笑って仲直りしたときのことを書くつもりであったのだが、いやになった。なんということも無い、謂わば、れいの・・・ 太宰治 「俗天使」
・・・Hとは、私が高等学校へはいったとしの初秋に知り合って、それから三年間あそんだ。無心の芸妓である。私は、この女の為に、本所区東駒形に一室を借りてやった。大工さんの二階である。肉体的の関係は、そのとき迄いちども無かった。故郷から、長兄がその女の・・・ 太宰治 「東京八景」
・・・家になるのだと言って、たいへん精巧のカメラを持っていて、ふるさとの夏の野道を歩きながら、パチリパチリだまって写真とる対象物、それが不思議に、私の見つけた景色と同一、そっくりそのまま、北国の夏は、南国の初秋、まっかに震えて杉の根株にまつわりつ・・・ 太宰治 「二十世紀旗手」
・・・一と月後には下の平野におとずれるはずの初秋がもうここまで来ているのである。 沓掛駅の野天のプラットフォームに下りたった時の心持は、一駅前の軽井沢とは全く別である。物々しさの代りに心安さがある。 星野温泉行のバスが、千ヶ滝道から右に切・・・ 寺田寅彦 「浅間山麓より」
出典:青空文庫