・・・科学は単なる判断的否定でもなければ、分析でもない。科学的否定とは、行為的直観の立場から我々の自己の因襲的な先入見、独断を否定することでなければならない。分析はデカルトの分析の意味でなければならない。否定のための否定、分析のための分析は、懐疑・・・ 西田幾多郎 「デカルト哲学について」
・・・どんな困難な境遇に立っても客観的な立場を守って、的確な判断と作戦とを誤らなかった彼ではあった。彼の心の中にどっしりと腰を下して、彼に明確な針路を示したものは、社会主義の理論と、信念とであった。「ああ、行きゃしないよ。坊やと一緒に行く・・・ 葉山嘉樹 「生爪を剥ぐ」
・・・れば、近く接して交情をまっとうするの例もなきに非ざれども、その人、相集まりて種族を成し、この種族と、かの種族と相交わるにいたりては、此彼遠く離れて精神を局外に置き遠方より視察するに非ざれば、他の真情を判断して交際を保つこと能わざるべし。たと・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
・・・今の世の人情で判断すれば、この男はまだ若いと云っていい。しかしもうあまたの閲歴、しかも猛烈な閲歴を持っているから、小説らしい架空な妄想には耽らない。この男はきちんと日課に割り附けてある一日の午後を、どんな美しい女のためにでも、無条件に犠牲に・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・ 一、けれども、考えるということ、又判断するということを、私たちは、知らず知らずのうちにいつもしているわけです。たとえば、(きょう本を買うにしても三味この頃芝居の切符を買う人の買い方が大変変って来たとききます。預金封鎖の強化と失業におび・・・ 宮本百合子 「朝の話」
・・・鷹は殿様のご寵愛なされたもので、それが荼の当日に、しかもお荼所の岫雲院の井戸にはいって死んだというだけの事実を見て、鷹が殉死したのだという判断をするには十分であった。それを疑って別に原因を尋ねようとする余地はなかったのである。 中陰・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・顔形、それは老若の違いこそはあるが、ほとほと前の婦人と瓜二つで……ちと軽卒な判断だが、だからこの二人は多分母子だろう。 二人とも何やら浮かぬ顔色で今までの談話が途切れたような体であッたが、しばらくして老女はきッと思いついた体で傍の匕首を・・・ 山田美妙 「武蔵野」
・・・ 私は物の運動というものの理想を鵜飼で初めて見たと思ったが、綱を切る切らぬの判断は、鵜を使う漁夫の手にあるのもまた知った。私は世界の運動を鵜飼と同様だとは思わないが、急流を下り競いながら、獲物を捕る動作を赤赤と照す篝火の円光を眼にすると・・・ 横光利一 「鵜飼」
・・・あの男のどこが、こんなに己の注意を惹いたのだか、己の部屋に這入っていた時間が余り短かったので、なんとも判断しにくい。目は青くて、妙な表情をしていた。なんでもずっと遠くにある物を見ているかと思うように、空を見ていた。悲しげな目というでもない。・・・ 著:ランドハンス 訳:森鴎外 「冬の王」
・・・というのは、おだてにのって、自分で善悪の判断をすることができなくなるのである。したがってますますばかになる。 もっとも、家来というものは、そういう悪意はなくとも、主君のすることをほめるものである。それに対してはしかるべき心得がなくてはな・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
出典:青空文庫