・・・おかげで、私は気障な真似をせずに、彼女と別れることが出来たわけである。 今はもうその時の実感を呼び起すだけのナイーヴな神経を失っているし、音楽でも聴かぬ限り、めったと想いだすこともないが、つまらない女から別れ話を持ち出されて、オイオイ泣・・・ 織田作之助 「中毒」
・・・しかしこうした場合だから迷わんで断行した方がいいと私はしいて気を張っていたが、さすがにFと別れるのがもの悲しく、これがついに一生の別れででもあるかのような頼りない気さえした。Fの方は昨晩からずいぶん悄げていたが、行李もできて別れの晩飯にかか・・・ 葛西善蔵 「父の出郷」
・・・と、土井は別れる時私に言った。三 笹川は、じつに怖い男だ。彼は私の本体までもすっかり研究してしまっている。そしてもはや私は彼にとっては、不用な人間だ。彼は二三度、私を洲崎に遊びに伴れて行ってくれた。そしてあるおでん屋の女に私・・・ 葛西善蔵 「遁走」
・・・お俊と別れて自分はしばらく横浜へ稼ぎに行くと言った様子はひどく覚悟をしたらしいので、私も浜へゆくことは強いて止めません、お俊と別れるには及ぶまい、しばらく私が預かるから半年も稼いだら帰って来てまた一しょになるがよかろうと申しますと、藤吉は涙・・・ 国木田独歩 「女難」
・・・ 愛するというのも早ければ別れるのも軽く、少し待たせれば帰ってしまい、逢びきの間にも胸算用をし、たといだます分でもだまされはせぬ――こういった現代の娘気質のある側面は深く省みられねばならぬ。新しさ、聡明さとはそんなものではないはずだ。新・・・ 倉田百三 「女性の諸問題」
・・・合うも別れるも野面を吹く風の過ぎ去る如くである。しかし君臣となり、親子、夫婦、朋友、師弟、兄弟となった縁のかりそめならぬことを思い、対人関係に深く心を繋いで生きるならば、事あるごとに身に沁みることが多く考え深くさせられる。対人関係について淡・・・ 倉田百三 「人生における離合について」
・・・若ものたちは、送ってきた親や、同志たちと、営庭で別れる。そして、大きな茶碗で兵営の小豆飯を食わされる。 新しく這入った兵士たちは、本当に国家のために入営したのであるか? それが目出度いことであり、名誉なことであるか? 兵士は、その殆・・・ 黒島伝治 「入営する青年たちは何をなすべきか」
・・・彼女と別れる前の年あたりには、大塚さんは何でも彼女の思う通りに任せて、万事家のことは放擲して了った。小言一つ言わなかった……唯、彼女を避けようとした……そして自分は会社のことにばかり出歩いた……さもなければ、会社の用事に仮托けて、旅にばかり・・・ 島崎藤村 「刺繍」
・・・ やがて別れる時が来た。暫時二人は門外の石橋のところに佇立みながら、混雑した往来の光景を眺めた。旧い都が倒れかかって、未だそこここに徳川時代からの遺物も散在しているところは――丁度、熾んに燃えている火と、煙と、人とに満された火事場の雑踏・・・ 島崎藤村 「並木」
・・・ じいさんは別れるときに、ポケットから小さな、さびた鍵を一つ取り出して、「これをウイリイさんが十四になるまで、しまっておいてお上げなさい。十四になったら、私がいいものをお祝いに上げます。それへこの鍵がちゃんとはまるのですから。」と言・・・ 鈴木三重吉 「黄金鳥」
出典:青空文庫