まえだえうん【前田慧雲】
[1857〜1930]仏教学者。三重の生まれ。東洋大学・竜谷大学の学長を勤める。「大日本続蔵経」を刊行した。著「本願寺派学事史」など。
まえだげんい【前田玄以】
[1539〜1602]安土桃山時代の武将。美濃の人。名は宗向。初め比叡山の僧。のち、織田信忠・信雄、次いで豊臣秀吉に仕え、丹波亀山5万石を封ぜられ、さらに五奉行の一人となった。
まえだせいそん【前田青邨】
[1885〜1977]日本画家。岐阜の生まれ。本名、廉造。大和絵・琳派 (りんぱ) の技法を独自に消化し、清新・豊麗な画風を確立した。文化勲章受章。
まえだつなのり【前田綱紀】
[1643〜1724]江戸前期の大名。加賀藩第5代藩主。幼名、犬千代。藩政改革に尽力。また、学を好み、木下順庵を招き、図書の収集・保存・編纂 (へんさん) にも努めて尊経閣文庫の基礎を築いた。
まえだとしいえ【前田利家】
[1538〜1599]安土桃山時代の武将。加賀藩主前田氏の祖。尾張の人。幼名、犬千代。織田信長に従い、各地で戦功をたてた。のち、豊臣秀吉に仕え、五大老の一人として、秀頼の後見を託された。
まえだなつかげ【前田夏蔭】
[1793〜1864]江戸後期の国学者。江戸の人。通称、健助。号、鶯園。清水浜臣に国学を学ぶ。「蝦夷志料」を編集するが完成を見ずに没。
まえだゆうぐれ【前田夕暮】
[1883〜1951]歌人。神奈川の生まれ。本名、洋造。尾上柴舟 (おのえさいしゅう) に師事。「詩歌」を創刊して、明星派に対抗。自然主義短歌といわれる牧水・夕暮時代を現出した。のち、自由律短歌を提唱。歌集「収穫」「生くる日に」「原生林」など。
まえだよういち【前田陽一】
[1934〜1998]映画監督。兵庫の生まれ。「にっぽんぱらだいす」で監督デビュー。風俗喜劇の名匠渋谷実の影響を受け、喜劇映画を量産した。代表作「喜劇・あゝ軍歌」「神様のくれた赤ん坊」など。
まえだりゅう【前田流】
平曲の流派の一。江戸初期に前田検校(のちに総検校)が創始。京都を中心とした波多野流に対し、主に江戸・名古屋で行われた。現行の平曲はすべて前田流。
まえだゆうきち【前田祐吉】
[1930〜2016]野球選手・指導者。高知の生まれ。投手として六大学野球リーグで活躍。社会人野球を経て慶応義塾大学の監督に就任すると、チームを8度のリーグ優勝に導いた。後年はアジア野球連盟事務局長を務めるなど、野球の発展に尽力した。