・・・同じ作者の『湊の花』には、思う人に捨てられた女が堀割に沿うた貧家の一間に世をしのび、雪のふる日にも炭がなく、唯涙にくれている時、見知り顔の船頭が猪牙舟を漕いで通るのを、窓の障子の破れ目から見て、それを呼留め、炭を貰うというようなところがあっ・・・ 永井荷風 「雪の日」
・・・熾烈な日光が更に其大玻璃器の破れ目に煌くかと想う白熱の電光が止まず閃いて、雷は鳴りに鳴って雨は降りに降った。そうしてからりと晴れた時、日はまだ西の山の上に休んで閉塞し困憊せる地上の総てを笑って居た。文造が畑に来た時いつも遠くから見えた番小屋・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・鬼の国から吹き上げる風が石の壁の破れ目を通って小やかなカンテラを煽るからたださえ暗い室の天井も四隅も煤色の油煙で渦巻いて動いているように見える。幽かに聞えた歌の音は窖中にいる一人の声に相違ない。歌の主は腕を高くまくって、大きな斧を轆轤の砥石・・・ 夏目漱石 「倫敦塔」
・・・あれは水成岩の割れ目に押し込んで来た火山岩です。黒曜石です。〕ダイクと云おうかな。いいや岩脈がいい。〔ああいうのを岩脈といいます。〕わかったかな。〔わかりましたか。向うの崖に黒い岩が縦に突き出ているでしょう。あれは水成岩のなかにふき・・・ 宮沢賢治 「台川」
・・・ 柱には、縦に深く一本割れ目がついて居た。女は、きっとその割け目に耳をおしつけて居た。彼女は、そうやって耳をつけ、柱の奥から、嘗て自分の恋をした、今も可愛い男の声を聴いて居たのだ。自分を抱いて名を呼ぶ声、向い合って坐り、朝や夜、種々の物・・・ 宮本百合子 「声」
・・・そして、五号の部屋の障子の破れ目から中を覗いてみたが、蒲団の襟から出ている丸髷とかぶらの頭が二つ並んだまままだなかなか起きそうにも見えなかった。 灸は早く女の子を起したかった。彼は子供を遊ばすことが何よりも上手であった。彼はいつも子供の・・・ 横光利一 「赤い着物」
出典:青空文庫