・・・何でも個性を発揮しなければ気が済まないのが椿岳の性分で、時偶市中の出来合を買って来ても必ず何かしら椿岳流の加工をしたもんだ。 なお更住居には意表外の数寄を凝らした。地震で焼けた向島の梵雲庵は即ち椿岳の旧廬であるが、玄関の額も聯も自製なら・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・香、扇子、筆墨、陶器、いろいろな種類の紙、画帖、書籍などから、加工した宝石のようなものまで、すべて支那産の品物が取りそろえてあったあの店はもう無い。三代もかかって築きあげた一家の繁昌もまことに夢の跡のようであった。その時はお三輪も胸が迫って・・・ 島崎藤村 「食堂」
・・・ このようにして行なわれる選択的截断は言うまでもなく次に来るところの編集のための截断であり、構成のための加工である。一瓶の花を生けるために剪刀を使うのと全く同様な截断の芸術である。 映画成立の最後の決定的過程として編集術については以・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・これは人工的加工でこしらえたものも多いようであるが、もとはやはり天然の植物黴菌か何かでできたものがあるのではないかと思われる。そう言えば培養された黴菌の領土の型式の中にも多少類似のものがあったように思うが、これも何かの思い違いかもしれない。・・・ 寺田寅彦 「自然界の縞模様」
・・・それどころか、たとえ小粒でも適当な形に加工彫琢したものは燦然として遠くからでも「視える」のである。これはこれらの物質がその周囲の空気と光学的密度を異にしているためにその境界面で光線を反射し屈折するからであって、たとえその物質中を通過する間に・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・ダイアモンドを掘り出せば加工はあとから出来るが、ガラスはみがいても宝石にはならないのである。 現代のように量的に進歩した物理化学界で、昔のような質的発見はもはやあり得まいという人があるとすれば、それはあまり人間を高く買い過ぎ、自然を安く・・・ 寺田寅彦 「量的と質的と統計的と」
・・・ 大河内氏の著書は、鶏小舎を改造せる作業場の中で、ズボンをつけ、作業帽をかぶりナット製作をしている村の娘たち、あるいは村の散髪屋を改造せる作業場で、シボレー自動車用ピストンリングの加工をしている縞のはんてんに腰巻姿の少女から中年の女の姿・・・ 宮本百合子 「新しい婦人の職場と任務」
・・・出版企業は、作家を原料加工業、読者を市場としてみるにすぎない。営利出版は、本質がそうである。将来にわたる文化の沃土として作家や読者大衆をみない。この条件は、作家をわる巧者にして、自分にとっても曖昧な「文学性」の上に外見高くとまりつつ稼ぎつづ・・・ 宮本百合子 「ある回想から」
・・・糸を紡ぐこと、織ること、そしてそれを体にまとえるように加工することは非常に古い時代から女のやることであった。これはギリシア神話の中のアナキネという話の物語にでも推察される。アナキネは大変美しく可愛い娘で、織物を織ることが上手であった。みごと・・・ 宮本百合子 「衣服と婦人の生活」
・・・鰯の加工の仕事などは女が働いているが、そういう加工の仕事のないところの漁家の婦人は、魚売りのほかにどんな直接の仕事があるだろうか。昨今のことだから工場へでも行くひとが多いのだとばかりも云えないであろう。 農村の女の生活も実に辛苦に満ちて・・・ 宮本百合子 「漁村の婦人の生活」
出典:青空文庫