・・・おれは眇たる一平家に、心を労するほど老耄れはせぬ。さっきもお前に云うた通り、天下は誰でも取っているが好い。おれは一巻の経文のほかに、鶴の前でもいれば安堵している。しかし浄海入道になると、浅学短才の悲しさに、俊寛も無気味に思うているのじゃ。し・・・ 芥川竜之介 「俊寛」
・・・ただ波羅門や刹帝利だけは便器の中に用を足し、特に足を労することをしない。しかしこの便器の中の糞尿もどうにか始末をつけなければならぬ。その始末をつけるのが除糞人と呼ばれる人々である。 もう髪の黄ばみかけた尼提はこう言う除糞人の一人である。・・・ 芥川竜之介 「尼提」
・・・でそういう所に意志を労するだけおとよの苦痛は一層深いことも察せられる。もとより勝ち気な女の持ち前として、おとよがかれこれ言うたから省作は深田にいないと世間から言われてはならぬと、極端に力を入れてそれを気にしていた。それであるから、姉妹もただ・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・病気をさせない心配から、病気になった時の心配、また、怪我をさせないように注意することから、友達の選択や、良い習慣をつけなければならぬことに気を労する等、一々算えることができないでありましょう。ある時は、それがために、子供を持たない人々を幸福・・・ 小川未明 「男の子を見るたびに「戦争」について考えます」
・・・一方で家庭的には当時いろいろな不幸があったりして、心を痛め労することも決して少なくはなかったにかかわらず、少なくも自分の中にはそういうこととは係り合いのない別の世界があって、その世界のみが自分の第一義的な世界であり、そうして生きがいのある唯・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」
・・・男女婚姻して一家に同居し、内外を区分しておの/\其一半を負担し、共に苦楽を与にして心身を労すること正しく同一様なるに、何が故に之を君臣主従の如くならしめんとするか、無稽も亦甚しと言う可し。或は戸外の業務は内事に比して心労大なり、其成跡も又大・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・ 然るに、今の学者はその思想を一方に偏し、ひたすら政府の政に向って心を労するのみにして、自家の領分には毫も余地を見出さざるものの如し。たとえば世に、商売工業の議論あり、物産製作の議論あり、華士族処分の議論あり、家産相続法の議論あり、宗旨・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
・・・ 帝室より私学校を保護せらるるの事については、その資金をいかんするやとの問題もあれども、この一条はもっとも容易なることにして、心を労するに足らず。我が輩の持論は、今の帝室費をはなはだ不十分なるものと思い、大いにこれを増すか、または帝室御・・・ 福沢諭吉 「学問の独立」
・・・外国人の見る目如何などとて、その来訪のときに家内の体裁を取り繕い、あるいは外にして都鄙の外観を飾り、または交際の法に華美を装うが如き、誠に無益の沙汰にして、軽侮を来す所以の大本をば擱き、徒に末に走りて労するものというべきのみ。これを喩えば、・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・外見は、物静で、ちんまりしているけれど、内部で、そういう些事に労する神経は並大抵でないらしい。なかなか窮屈なことと思う。 女の人が、総体経済家で、きれいずきで、家政的に育て上げられているのは、一寸傍から見れば、共に生活する男の人の幸福の・・・ 宮本百合子 「京都人の生活」
出典:青空文庫